「猥褻は、そう思う人の心の中にしかない」 映画「愛のコリーダ」の書籍が猥褻にあたるかを問われた裁判の中で、大島渚監督が残した有名な名言だ。 俺はこれを、「猥褻な物体というものは存在せず、対象を人が認識して猥褻だと翻訳した瞬間に初めてその物体が猥褻とされるのであって、この場合、猥褻なのは物体そのものではなく、そう判断したその人およびメカニズムである」といった風に解釈している が、この言葉を知る以前から、うっすらとこういった考えを持っていた。 きっかけは、性の意識が芽生えはじめる小学生のころにさかのぼる。 同級生の中にウルトラの母に興奮するやつがいた。 なぜそんな性的嗜好を獲得するに至ったのか、知る由もない。 彼にとっては、ウルトラの母こそがこの世で最も猥褻であり、アダルトビデオよりも真っ先にレンタルビデオ店のピンクの暖簾の先に追いやられて然るべきなのはウルトラマンのビデオだったが、もちろん、