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2009年8月10日のブックマーク (5件)

  • http://www.jimin.jp/sen_syu45/hikaku/index.html

    albertus
    albertus 2009/08/10
    「危な」くしたのはあんたらでしょう。
  • イギリスとアメリカ、アングロ・サクソンは、決して「一枚岩」ではない - livedoor Blog(ブログ)

    2009年08月09日 イギリスとアメリカ、アングロ・サクソンは、決して「一枚岩」ではない 私も含めて、大概の人は、アメリカ人と、イギリス人とを「アングロサクソン」と一くくりに考えているのではないだろうか。 きっと、その二国の関係には、近所の仲間で缶蹴りをして、遊んでいても、あたかも兄弟だけが感じ合えるような深いシグナルで連携を図るように、他の第三国が立ち入ることの出来ないようなの固い結束に裏付けられた関係なのだろう、と。 しかしながら、そんなものは、幻想なのかもしれない、ということが〜「アメリカ社会」入門 英国人ニューヨークに住む〜を読むと、よく分かる。当のイギリス人とアメリカ人に言わせれば、アメリカとイギリスの関係は、「兄弟」などというよう親密な距離感ではなく、確かに単なる友人というわけでないが、せいぜいが「従兄弟」くらいの関係だ・・ということである。 英国人のフリージャーナリストであ

    albertus
    albertus 2009/08/10
    決して「一枚岩」ではない...って、当たり前すぎる。無論「イギリス」も一枚岩では、まったくない。
  • 大学生、マニフェスト「読まない」理由は… : 総選挙2009 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    選挙に関心はあるが、積極的に政権公約(マニフェスト)を読むまでの熱意は薄い——。30日投開票の衆院選に向け、室蘭工大の永松俊雄教授(公共政策論)らが、20歳以上の学生230人を対象に行った調査で、学生たちのこんな意識が浮かびあがった。 選挙に関心がある学生は76・9%に上る一方で、マニフェストを読むつもりがないとした回答は55・8%。各党のマニフェストをめぐる攻防が過熱しているが、若年層への浸透度はまだ十分とはいえないようだ。 調査は7月28、29日の両日、同大の永松教授と、行財政を研究する学生サークル「PAネットワーク」が共同で、同大の学生らを対象に行った。未成年も含め341人が回答。選挙権を持つ20歳以上の230人を抽出して分析した。 マニフェストを読まない理由は、「読んでも分からない」が25・8%で最多だった。マニフェストは各政党がホームページで公開しているが、「どこで入手できるか分

    albertus
    albertus 2009/08/10
    室蘭工大の学生で、日本の大学生を代表させてしまうとは!大学のレポートなら、無論「不可」だ。
  • 氷河融解の祈りが成就?カトリック教区が伝統の祈りを変更へ スイス

    スイスアルプス最長のアレッチュ(Aletsch)氷河(2007年8月18日撮影)。(c)AFP/FABRICE COFFRINI 【8月8日 AFP】地球温暖化の影響が意外なところにも出ているようだ。スイスアルプス南部の2地区に暮らすローマカトリック教徒たちは、昔から洪水をもたらす氷河の後退を祈ってきたが、その祈りの内容を「気候変動防止」に切り替えようとしている。 フィエッシュ(Fiesch)、フィエッシェンタル(Fieschental)両地区のカトリック信者たちは17世紀末から、アルプス最長のアレッチュ(Aletsch)氷河を洪水の原因とみなし、この氷河が溶けるよう祈りを捧げてきた。この伝統は後に、毎年7月31日に地元のチャペルで行われる恒例行事に発展した。 皮肉なことだが彼らの願いは聞き入れられたのかもしれない。アレッチュ氷河は過去数十年で数キロ短くなり、現在では23キロまで縮まった。

    氷河融解の祈りが成就?カトリック教区が伝統の祈りを変更へ スイス
  • 学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ

    2〜3日前の読売新聞に静岡産業大学学長の大坪壇先生のコラムが掲載されていました。これが思わず拍手したくなるような内容だったので掲載しておきます。全文掲載はまずいのかなとも思うのですが,これは是非読んでいただきたい内容なので踏み切りました。問題があれば削除いたします。 内容は,「学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない」というもの。そう言われれば多くの人が「そりゃそうだ」と思うんでしょうけど,実際は多くの大学教員が教育よりも研究に時間を割いているというのが現実ですよね。 なんでこういうことになるのかというのを居場所論で考えてみると,要するに大学教授というのはいかに教育を行ったかではなく,いかに研究業績を出したかが大学での居場所につながるのだろうと思うのです。その状況ではある程度仕方がない。教育者が,その教育内容でもって評価されるようなシステムの構築が必要なんでしょうね。

    学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ
    albertus
    albertus 2009/08/10
    この読売のコラムに対して強烈な違和感。「拍手したくなる」なんてさらに違和感。