「大学は研究機関であり同時に教育機関である。教員たちは自分たちの研究を学生たちに伝え、学生たちはそれを受けとめたりして社会に出て行く。私たちの子供が通う大学に、「社会的要請の高い分野」しか存在しないとしたら。私たちの子供が「社会的要請の高い分野」についてしか学ぶことができないとしたら。私は私たちの住む国で、子供たちの前にそんな選択肢しか残っていないということを、心の底から恐ろしく思う」(p.7) 「研究機関であり同時に教育機関」とは、具体的には近代的大学を支えたフンボルト理念のことを指しているのだろうが、それが十分に脱構築可能なものである(藤田尚志「条件付きの大学――フランスにおける哲学と大学」、西山雄二編『哲学と大学』收、未来社、2009)とかいうことは、このさいどうでもいい。率直にいって、勝手に「恐ろし」がってて下さい、と感じてしまうわけだが、ここにはいくつものツッコミ処がある。