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哲学と科学に関するamagasa99のブックマーク (2)

  • 哲学者は認知科学の論文を読むか?|描写の哲学の場合 - obakeweb

    描写の哲学はかなり学際的な分野だ。異なるバックグラウンドを持つ研究者たちが、画像という同一の主題を、さまざまなアプローチで扱っている。 2021年6月26日㈯に、松永さん(@zmzizm)主催の「描写の哲学研究会」があり、今年度は「描写の哲学と認知科学」がテーマになっている。もう事前申し込みは締め切っているので宣伝としてはいまさらなのだが、会に先立ちこの話題に関して自分が気になっている点を整理しておきたい。 まずはHPに挙げられている「想定される論点」を引用しよう。 描写の哲学の議論は、心理学や神経科学といった認知科学からどう見えているのか。 哲学者は経験的な研究ぬきに特定の前提を置きがちだが、それは適切なのか。 認知科学者と哲学者の関心の違いは(もしあるとすれば)どこにあるのか 描写の哲学で共有されている諸概念は、認知科学にとって何らかの意義を持つのか。 (2021年度 描写の哲学研究会

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  • 哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama

    こんなものが読めるとは思っていなかった。驚き、悲しみ、何度も頭に血がのぼった。そして、著者の気度に慄いた。 物理学者の谷村省吾先生(以下、谷村氏)による、『〈現在〉という謎』への「補足ノート」が公開された。書の発行時から、公開が予告されていた文章だ。 谷村省吾「一物理学者が観た哲学」(pdf) http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html 書籍『〈現在〉という謎』に関しては、感想をブログに書いた: 同書で谷村氏と分析哲学者たちの応酬を読んだ私は、当初は谷村氏が「挑発者」の役を演じているのではないかと思った。裏ではお互いわかり合っていながらも、を面白くするために、敢えて対立点を強調したのではないかと。そうであってほしいとも思っていた。 しかし、違った。気だった。谷村氏は、物理学者としてのインテグリティを賭し

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