高天原(たかまがはら)の神々が地上世界に降り立った「天孫降臨(てんそんこうりん)」。初代・神武天皇が九州・高千穂宮から大和へ遷った「神武東遷(とうせん)」。今も日本人の心に根ざした神話だ。なぜこうした説話が生まれたのか。考古学からアプローチしてみると、その裏側に秘められた意外な事実が見えてきた。神武東遷ではなく「西遷」だった? 天孫降臨は、日向を取り込もうとしたヤマト王権の巧妙な政略? 地中に埋もれた歴史の“証言者”が語りかけてくるものとは-。(小畑三秋)日向の権力あなどれず 天孫降臨の舞台である高千穂峰、後の神武天皇が東遷を決断した高千穂宮は、いずれも現在の日向(宮崎県)とされる。 100年前の大正元(1912)年、神話の舞台を学術的に証明しようと西都原(せいとばる)古墳群(同県西都市)の発掘調査が行われた。ただ、神話の時代に結びつく成果はなく、関係者をがっかりさせたという。 しかし宮崎