古い雑誌を読み返していたところ、ある私立美術館の館長がインタビューで 「コレクションに50年かかった収蔵品は、50年でよそへ行ったほうが良い。そうやって日本美術は発展してきた。それに、いくら名品でもずっと同じものを見ていると、さすがに飽きる」 というようなことを言っているのを見つけて、僕は 「そうか。やっぱり飽きるのか」と妙に納得してしまった。
古い雑誌を読み返していたところ、ある私立美術館の館長がインタビューで 「コレクションに50年かかった収蔵品は、50年でよそへ行ったほうが良い。そうやって日本美術は発展してきた。それに、いくら名品でもずっと同じものを見ていると、さすがに飽きる」 というようなことを言っているのを見つけて、僕は 「そうか。やっぱり飽きるのか」と妙に納得してしまった。
前回が問題編だとすると、今回は解答編ちゅーことになりましょうか。 私なりに彼がなぜ立ち漕ぎするひとを偽善者にカテゴライズするのか追求したら、大体こんなかんじになりました。 彼は自分の足が短いことを気にしており、そのことに苦しんでいる。 だから人前で椅子に座るのが苦痛で仕方ない。座高が高いから座れば一目で短足がばれてしまうというのが、彼の考え。そのくらいならずっと立っていたいと常々思っているし、実際昔はなるべく人前で座らないようにしていた。 「電車の座席」と「自転車のサドル」に腰を下ろすことは、特に彼にとって耐え難い。テーブルなどで隠してごまかすこともできない状態で、公衆の面前に自分の長い胴をさらすことになるから。 だけど彼は同時に、そんなことを気にしている自分を『臆病』で『欺瞞的』であると感じ、そのことにも心底嫌気がさしていた。 だから彼はがんばって、人前で座るようになった。サドルに腰を下
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