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自分と言に関するamiyoshidaのブックマーク (4)

  • 「ユリイカ」 特集『マンガ批評の新展開』出ました。 - 伊藤剛のトカトントニズム

    アマゾンでは先週くらいから予約可になってたようですが、店頭には今日から並ぶようです。 ユリイカ2008年6月号 特集=マンガ批評の新展開 作者: 荒川 弘出版社/メーカー: 青土社発売日: 2008/05/26メディア: ムック購入: 4人 クリック: 48回この商品を含むブログ (51件) を見る 青土社から届いた封筒をさっき開けたばかりなので、中味はこれから読むわけですが、ほかの仕事そっちのけでむさぼるように読みたくなる充実ぶりだと思います。 先日、マンガ表現論の新しい地平を開く大快著、『漫画をめくる冒険・上巻』を同人誌で出したばかりの泉信行(イズミノウユキ)くんを大きくフィーチャーし、彼だけでなくまさに「新展開」を担う書き手がこぞって登場しています。 また、三月にパリで行われた国際会議の様子が紹介され、発表の一部が抄録されている(ぼくの発表自体は、テヅカイズの要約なので割愛しています

    「ユリイカ」 特集『マンガ批評の新展開』出ました。 - 伊藤剛のトカトントニズム
    amiyoshida
    amiyoshida 2008/05/26
    汽車の重い車輪がぐらり、と回りだした瞬間の力強さを感じます。」きれいな比喩。この最初のわくわく感と熱の中にいられる高揚感はたまらないものがあります。
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    amiyoshida
    amiyoshida 2007/09/04
    <誰かの過去>には対峙することは出来ても誰も関わることが出来ないんだな」ということに思い当たる。(…)関わることが出来るのは<現在>のみだ。それは自分に対してすらそうだ」すごいきれいな言葉!
  • 日記 - まなび批判に反論してみる

    いま8日。というわけで日付が前後しますが、文月さんから「痛傘というアイディア」。なるほど、柄の部分に。西洋でも杖の柄などは確かにファッションの一部だったのでしょうし、傘なら小粋にできそうですね。例えばコンビニ傘でも、こんな感じで(違)。 薫さんからご指摘いただく、どもですー。 >「脚の出来の悪さから駄作」というのを、「ある意味命懸け」の視聴態度をとれば誰もがたどり着ける普遍的な結論だと前提しているところ ええと、「ニュートラル」な見方というのはつまりそういうことですか。そうすれば客観的な事実として「これは脚の出来が悪い」と言えるはずだし、だから「駄作」という評価を共有できるはずだと。 でも、アニメ版シスプリの脚は出来が悪いとさんざ叩かれてたはずですが、ぼくはその脚が素晴らしいものだと考察してしまいましたよ。ってそうか、この場合だとぼくの考察は、「好き」と「想像力を働かせる」の対応で

    amiyoshida
    amiyoshida 2007/03/18
    自分の未熟さとゆっくり向き合っていくための余裕がない。余暇(スコレー)がない。」この作品が優しいと思うのはそんなところ。
  • 2007-02-20

    昨日コメントして下さった方への返答を書いていたらえらく長くなってしまった。自分のことについてはなるべく書かない方針だったのだが自分のことをだらだらと。時間をおいた今見てみると、なんだかその人の魔法にでもかかっていたような。 昨日のamiyoshidaさんのコメントより。詳しくは前日のコメント欄を。 私はアニメに限らず、作っている人が何を考えて作ってるんだろうと考えて観るのが好きなので(だから作家追いに走ってしまう)そういう要素がある作品を好き、と思う傾向にあります。(中略)それは、優れた作品が好きという趣向を持てるほど、アニメを集中して観てるとはいいがたいのでどうしても基準が好きに拠ってしまいます。 こちらとしてはアニメを見るというのは、作品から引き出せる感動や面白さの全てをすくい上げようとすること。そのために血眼になって一フレームもも見逃さないように画面にへばりつかんばかりに集中して見て

    2007-02-20
    amiyoshida
    amiyoshida 2007/02/21
    自分のことについてはなるべく書かない方針だったのだが自分のことをだらだらと。時間をおいた今見てみると、なんだかその人の魔法にでもかかっていたような」いい言葉だ。
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