ブックマーク / sports.yahoo.co.jp (12)

  • 杉浦忠様 エースの君へ 『野村克也からの手紙』 - スポーツナビ

    互いの能力を認め合い、助け合う。信頼する同僚がいる職場なら、自然と成果が上がっていくものだ。とはいえ、何か些細な一言や、人事の決定事項など、思いがけないことがきっかけで、同僚との関係に変化が生まれることもある。仕事でも人生でも、打撃になりうる出来事だ。 野村克也氏が書いた一通の手紙。宛名は杉浦忠氏。南海時代にバッテリーを組んだ名投手だ。同い年だが、大卒の杉浦氏の入団があとになる。ストレートとカーブだけでシーズン38勝した年も。運動能力が高く、受ける捕手としては「ただ壁になればよかった」。その球を13年間、受け続けた。 杉浦氏は2001年、66歳の若さで急逝。野村氏の手紙に、にじむ思いは。 スギよ。俺が南海を離れてから、すっかり会うこともなくなっていたな。 同い年とはいえ、お前は六大学の立教出身の大スター。しかも、鶴岡監督自ら引っ張ってきた選手とあって、高卒のテスト生だった俺とは、最初から扱

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    amy385 2018/12/14
  • 新任専務が考える「4万人」へのストーリー J2・J3漫遊記 アルビレックス新潟<後編> - スポーツナビ

    今ではスタンドの半分が埋まらなくなって久しいビッグスワン。かつては4万人を集めた時代もあった 【宇都宮徹壱】 再び、FC町田ゼルビア戦が行われた、10月29日のデンカビッグスワンスタジアムにて。ホームのアルビレックス新潟が2−0で勝利した試合後、町田を追いかけている知人のフォトグラファーが「いやあ、素晴らしいスタジアムですね」と声をかけてきた。 「こんなにお客さんがたくさんいて、一体感のある応援ができるなんて、J2では珍しいですよ!」 町田がビッグスワンで新潟と戦うのは、今回が初めてだから感動するのは無理もない。とはいえ「15年前は、もっとすごかったんだけどね」と教えたくもなる。 かつて新潟には、驚異的な入場者数を誇った時代があった。具体的には、J2最後のシーズンとなった03年から、J1で2シーズン目となる05年まで。03年の平均入場者数は3万339人。J1の浦和レッズ(同2万8855人)

    新任専務が考える「4万人」へのストーリー J2・J3漫遊記 アルビレックス新潟<後編> - スポーツナビ
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    amy385 2018/11/20
  • 可視化して振り返るドラフト会議 満点は中日、課題残した球団は? - スポーツナビ

    2018年プロ野球ドラフト会議が25日に行われ、指名で計83選手が指名を受けた。逸材がそろった高校生では、4球団競合で根尾昂(大阪桐蔭)が中日、小園海斗(報徳学園)は広島、3球団競合で藤原恭大(大阪桐蔭)は千葉ロッテがそれぞれ交渉権を獲得。吉田輝星(金足農)は外れ1位で北海道ハムが単独指名。その他、松航(日体大)、辰己涼介(立命大)など、多くの大学生、社会人が即戦力の期待を受けて指名を受けた。 では今回、各球団はどのようなドラフト戦略を立てて指名したのか。チームの“穴”は果たして埋まったのか。右投手、左投手、捕手、内野手、外野手別の年代構成をもとに、今回のドラフト補強を振り返っていきたい。 (注)選手は満年齢で分布。育成選手、外国人枠の選手を除く。

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    amy385 2018/10/26
  • 1996年 「百年構想」誕生秘話<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    ここに、電通がJリーグに提出した「Jリーグ’96広報キャンペーンのご提案」のコピーがある。日付は「95.1.18」。阪神淡路大震災の翌日ということになるが、翌年の開幕に向けたキャンペーンの提案書となると、どう考えても時期が早すぎる。関係者が保管していた、当時の記録と突き合わせたところ、実は1996年1月18日が正しいことが判明した。これがプレゼンの当日。そして翌19日に、Jクラブの広報が集まる広報委員会で、電通のプレゼン案が正式に採用されている。 このコンペに臨むにあたり電通は、国内外の広告賞を多数受賞している角田誠をにメーンのコピーライターに指名している。JR東海エクスプレスシリーズなどの仕事で知られる、押しも押されもせぬエース級を起用してきたところに「是が非でもJリーグの仕事をとる!」という電通の意気込みが感じられよう。もっとも角田は、プレゼンを含む重要な場面では表に出てくるものの、若

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    amy385 2018/08/29
  • 1996年 「百年構想」誕生秘話<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    鹿島アントラーズの優勝で幕を閉じた1996年シーズン。この年に「百年構想」という言葉が生まれた 【(C)J.LEAGUE】 「今年はワールドカップ(W杯)イヤーなので、日ロシアで好成績を残せるように、Jリーグとしても高いコンディションとレベルの試合を続けていくことが大きなテーマになると思います。それから今年は、ひとつの四半世紀が終わって、次の四半世紀に向けてスタートする年。ですので、やや中長期的なJリーグの展望を社会に示したいですね」 2018年シーズンのJリーグが開幕する年の1月、村井満チェアマンにインタビューした際のコメントの抜粋である。1993年にJリーグが開幕して、今年で25年。「百年構想」をうたってきたJリーグゆえに、チェアマンである村井が「次の四半世紀に向けて」と発言するのは当然のことと言えよう。しかし村井の考えには共鳴しつつも、100年のうちの25年という百年構想の捉え方

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    amy385 2018/08/29
  • Cygamesがユーベと鳥栖を支援する理由「面白い事をやる、根本は変わらない」 - スポーツナビ

    ソーシャルゲームを企画、開発、運営する株式会社Cygames。社長の渡邊はサッカーにどっぷりと浸かっている 【Getty Images】 勝ったときだけ――、とその男は慎ましげに笑みを浮かべた。 「ピッチレベルに下りていって、マッシモ・フィッカデンティ監督と握手をして帰ります。試合の中身やサッカーの話は、そのときに少し」 もしサッカー狂がスポンサーとしてクラブの中枢にアクセスする権利を得たとすれば、それを行使してサッカーの虫である研究熱心な監督と、いつまでも話していたいはず。しかしその男はスポンサーとして関わったがゆえに、己と現場とのあいだに、あえて一線を引く。 「どうして毎試合、私のところに来ないんだ?」とフィッカデンティ監督は疑問を呈するが、男は変わらず、勝ち点3を得た試合に限って「会心の勝利だったね」とひと声掛け、時に「あそこは改善したほうがいい」と少々サッカー談義を吹っかけ、スタジ

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    amy385 2018/08/23
  • サファテから日本のみんなへメッセージ 「リハビリは順調、魂はチームとともに」 - スポーツナビ

    連覇を狙う福岡ソフトバンクの絶対的な守護神として期待され、開幕前には2021年までの3年契約を結んだサファテ。しかし開幕直後に負傷し、4月26日(現地時間)には右股関節鏡視下関節唇修復術を受けた。現在は米国でリハビリに取り組んでいるサファテに現在の状況と心境を聞いた。 ――右股関節の手術を受けて現在リハビリ中ですが、回復具合はどうですか? 順調ですよ。予定より早く回復していると言っていいでしょう。リハビリではストレングス(強化)、アジリティ(瞬発系)のトレーニングを主にこなしています。関節唇の修復手術を受けた後なので、一気に負荷を掛け過ぎるわけにはいきません。無理をしたら回復に余計に時間がかかってしまうことになりますから。治療には4〜6カ月かかるとされていますが、まだ4カ月経っていません。8月26日でちょうど4カ月になります。ここまではいい方向に進んでいるし、故障箇所は以前より力強く感じて

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    amy385 2018/08/17
  • 2014年 村井改革のはじまり<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    村井チェアマン(前段中央)の就任会見の様子。就任直前のJリーグは経営面で重大な岐路に立たされていた 【写真は共同】 ロシアで行われたワールドカップ(W杯)を取材中、Jリーグの村井満チェアマンにばったり遭遇したことがあった。日本代表が初戦のコロンビア戦に勝利した日の深夜、サランスク発モスクワ行きの便が一緒だったのである。ボーディング直前に少しだけ会話をした際、「われわれJリーグとしても、今大会の日本代表の戦いにはいろいろ注目しています」と語っていたのが印象的であった。ただでさえチェアマンとしての職務が多忙を極める中、それでもスケジュールを調整してW杯視察を断行するのは、村井自身に「世界を意識したリーグでありたい」という強い思いがあるからである。 思えば前回のブラジル大会も、チェアマンに就任したばかりの村井は精力的に現地で観戦している。目前のハイレベルな試合に感動するだけでなく、日サッカー

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    amy385
    amy385 2018/07/25
  • F・トーレス「日本の文化を学びたい」 サガン鳥栖 新加入会見 - スポーツナビ

    サガン鳥栖を運営する株式会社サガン・ドリームスは15日、都内で元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスの新加入会見を行った。 この日、来日してすぐに会見場へとやってきたトーレスだったが、疲れた様子も見せずに笑顔で登壇。「できるだけ早くトレーニングに参加して、来週末には何分間でもいいので試合に出られれば」と、J1再開後、鳥栖にとって最初のホームゲームとなる22日のベガルタ仙台戦への出場に意欲を見せた。 アトレティコ・マドリー退団を発表後、複数のオファーが届いていた中で鳥栖を選んだ理由については「一番最初に関心を示してくれた」ことが重要だったといい、「日は非常に人に敬意を払う国だと思いますし、文化的にも日から学ぶべき点もたくさんあると思います」「新しい場所、新しい街での暮らしを楽しみたいと思っています」と日での生活に対する期待感を語った。 また、同じ1984年生まれで、同じタイミングでバ

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    amy385 2018/07/15
  • JリーグクラブにSlackを入れてみた 「IT活用でJクラブは変わる」第1回 - スポーツナビ

    こんにちは、えとみほ(江藤美帆)と申します。今年の3月末まで、東京・渋谷のスタートアップ企業でいわゆる「IT社長」をやっていました。いまは縁あって、5月からJリーグの栃木SCのフロントスタッフとして働いています。ちなみに出身は富山県なので、栃木県には縁もゆかりもありません。 そんな私がなぜ栃木SCで働くことになったのか。一言で言うと、弊社社長の橋大輔との出会いがあったからです。橋は現在42歳と、Jリーグ54クラブの社長の中でも若い部類に属し、とても柔軟な考えを持っていました。そんな橋が、最初の面接で開口一番、私に言ったのが「うちはデジタルが弱い」という言葉でした。 ただ、この「うちはデジタルが弱い」というセリフは、経営者の時候の挨拶(あいさつ)のようなもので、中小零細企業の社長の大半が自社をこのように評します。つまり、たいていの場合はとりたててその会社だけが遅れているわけではなく、ど

    JリーグクラブにSlackを入れてみた 「IT活用でJクラブは変わる」第1回 - スポーツナビ
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    amy385 2018/06/29
  • JリーグクラブにSlackを入れてみた 「IT活用でJクラブは変わる」第1回 - スポーツナビ

    こんにちは、えとみほ(江藤美帆)と申します。今年の3月末まで、東京・渋谷のスタートアップ企業でいわゆる「IT社長」をやっていました。いまは縁あって、5月からJリーグの栃木SCのフロントスタッフとして働いています。ちなみに出身は富山県なので、栃木県には縁もゆかりもありません。 そんな私がなぜ栃木SCで働くことになったのか。一言で言うと、弊社社長の橋大輔との出会いがあったからです。橋は現在42歳と、Jリーグ54クラブの社長の中でも若い部類に属し、とても柔軟な考えを持っていました。そんな橋が、最初の面接で開口一番、私に言ったのが「うちはデジタルが弱い」という言葉でした。 ただ、この「うちはデジタルが弱い」というセリフは、経営者の時候の挨拶(あいさつ)のようなもので、中小零細企業の社長の大半が自社をこのように評します。つまり、たいていの場合はとりたててその会社だけが遅れているわけではなく、ど

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    amy385 2018/06/29
  • トヨタにとっては好結果だったが… ル・マン24時間レースで感じた違和感 - スポーツナビ

    悲願のル・マン初優勝を果たし、トロフィーを掲げるトヨタ8号車のドライバー 【(C)TOYOTA MOTOR CORPORATION】 6月16日〜17日、フランスのサルト・サーキットで、第86回ル・マン24時間レースが行われた。結果は皆さんご存じの通り、トヨタ8号車が優勝、7号車が2位。公式的には20回目の挑戦にして、初勝利を物にした。ただ、トヨタの“ワークスとして”のル・マン参戦は、1992〜93年のTS010からだと思っているので、それに続くTS020の98年〜99年、そして、2012年から18年までのTS030以降としてカウントしたいし、11回目の挑戦にしての初勝利という印象だろうか。私の中では、トムスや童夢、サードの挑戦は、“チームとして”の参加としてカウントしているからだ。 今年の優勝に関しては、まずは“おめでとう”。そして、中嶋一貴選手とセバスチャン・ブエミ選手を祝福したい。特

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    amy385 2018/06/21
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