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教育と日本に関するanakingのブックマーク (4)

  • いじめがなくても学校からもう逃げ出した方がいい - アンカテ

    「サラリーマンになる」ということは、これまで一番平凡で無難な夢でした。しかし、これからは、才能に恵まれて野心的で相当な努力も苦にしない、ごく例外的な人だけがめざす道になるでしょう。 これまでは、「平凡な人は人並みになることを目指し、人並みであることで仕事をつかめ」「非凡な何かを持つ人は、人と違う独自の道を追求してもよい」と言われてきました。 これからは逆になるでしょう。つまり「非凡な才能に恵まれた人は、人と同じ道を歩むことを目指して努力してみるのもいいだろう」「平凡な人は人と違う自分だけのもので勝負しろ」 これは、とんでもなく冷酷な厳しいメッセージに感じる人が多いでしょう。それは、人と同じ道を歩むのは簡単で、人と違う道を行くのは困難なことだと思うからです。それはある意味では当たっていますが、実は大きな勘違いです。 どういうことかと言うと、「人と同じ道を歩む」ことは学校で教えてくれるから簡単

    いじめがなくても学校からもう逃げ出した方がいい - アンカテ
  • なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察― : 金融日記

    中学受験ネタからはじまった学歴エントリーはその後様々なブログで引用され、大いにその是非が議論された。 たった数日の間に合わせて600近くのコメントがついたのは、多くの日人の心に受験勉強の思い出がいかに深く刻み込まれているかの証左であろう。 しかし、その後、議論は思わぬ方向に進展した。 日では、このような受験を勝ち抜く秀才の多くが、医師や弁護士という国家資格に向かい、必ずしもグローバル経済の中でますます熾烈さを増す技術開発やビジネスの国際競争に、その才能が活かされていないという問題提起である。 医師の仕事の多くが厚生省の官僚と製薬会社によって定型化されており、必ずしも理数系の才能が必要とされるわけではない。 また、外科手術のような分野は、受験勉強の才能より、手先の器用さといった素養がより重要であることはいうまでもなかろう。 弁護士の仕事にしたって、ほとんどの業務は犬もわないような内輪げ

    なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察― : 金融日記
  • 学歴から資格へ - 池田信夫

    藤沢数希氏が私のブログ記事を引用していうように、理科系のもっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは、科学技術の振興が必要な日では深刻な社会的浪費である。もちろん先端医学の研究開発は重要だが、大部分の医師は開発された技術を使って診察・治療を行なうオペレーターであり、数学や物理のむずかしい勉強は必要ない。 弁護士も同じである。民事訴訟による賠償はゼロサムの所得移転で、弁護士費用は誰の得にもならない死荷重である。もちろん、これは弁護士が不要だという意味ではなく、法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計は重要だ。そのためには弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進めることが望ましい。 医師や弁護士の所得(および社会的地位)が高いのは、フリードマンが指摘したように、彼らのギルドの歴史が古く、その既得権が強固に守られているためだ。免許で

    学歴から資格へ - 池田信夫
  • 日本語の実力その2】日本語なしには成り立たない現代中国語 - Suzacu Late Show

    もっと評価されるべき日語の実力シリーズの第2回。今回は現代中国語が日起源の和製漢語なしには成り立たないというお話。やや硬い内容なので興味のある方はどうぞ。 漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770-前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。 ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。 日はまったくの例外である。漢

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