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いっぽう人文学では自己相対化は研究者自身の訓練や努力によって「内部」的に達成されないとならないので、ときどきその学者個人にとって「相対化できないテーマ」が現れると学問でなくなってしまう。
いつも言うようになにかが「学問」になるためには研究者の自己相対化が必要なんだけど、自然科学では自己相対化は実験とか統計とかの手続きによって「外部化」して達成されている。(続く)
いわゆるという意味の「」が通じない相手が文系の研究者、ということも増えた。いよいよこの表現そのものが絶滅なのラジねえ。
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