わたし石曽根正勝が提唱する、視覚的表現を中心にアニメを視る「アニメてにをは」論に沿って『紅の豚』のポイントを予習します。
以前の記事にも書いたとおり、ぼくは宮崎駿さん本人から直接、ジブリへの入社を請われました。 《お前には才能がある。だからジブリに入るんだ!》 ぼくはそう口説かれたのでした。 そう口説かれた当時、ぼくにとってジブリという存在はそんなに大した大きさを持っていなかったのでした。 古今東西の映画を観ればその中にあってジブリは無価値とは言わずとも、並み居る偉大な映画作家の列の末席を汚す程度に過ぎない。不遜にもそう思っていました。 それはいまでもそう思っています。 何千本もの映画を、その一作一作ごとの価値に従って鑑賞していけば、誰だってそうなるでしょう。ジブリはワンノブゼムだと。 ◆ だから宮崎氏のラブコールだって、かつて敬愛した作家からのそれに過ぎなかったのでした。 しかし悪い気はしなかったです。 主観的にはその言葉は空々しく響いたが、客観的には《これはすごいことが起こっているぞ》と驚いていました。
フェイスブック上でプライベートな形で書いた回想記「烙印」は全部で三十数話ある。 一回一回の分量は長くて、今後このブログで掲載するにしても、全文オリジナルで一度掲載すると同時に、読みやすいように何回かに分けて掲載してもみようと考えています。 ◆ 「熱風」で「アニメの「てにをは」事始め」を連載する過程で、その宣伝になればいいと思ってツイッターアカウント@animeteniwohaを始めて、その延長でこのブログ「gと烙印」を開始させました。 そうなってくると、ジブリでの回想で書き残していなかった数々の思い出が残っていることにいまさら気づきました。 それを少しずつ書いていこうと思います。 ◆ フェイスブックで以前書いた文章は二桁番台(~99話)に収めるとします。 そしてこれから新しく書き始める文章は三桁番台(100話~)とします。 それでこれは102番目。 100話目は?と思われるかも知れませんが
え?作品にハンセン病なんて言ってないって? 製作サイドがその示唆を止めたからですよ。 プレス向けの資料のさしかえをするか・しないか談判している監督の姿をぼくは見ている。 そしてさしかえられ、そしてこの時点から、この作品はハンセン病とは関係ない作品として提示する、という広報態勢が整ったのではなかったか。 「もののけ姫 ハンセン病」と検索すると宮崎駿さんが2016年にあれはハンセン病を示唆したという記事が簡単に見つかりますので、ご参照を。 しかしこの記事はスクープの形をとりながら、「もののけ姫における伝染病に関わる差別的アプローチ」にまで至っていない。 制作中のあの当時、社会問題としてそれを示唆する・しないの「大人な選択」などはこの際どうでもいい。そんな経緯にうさん臭さを覚えはしたが。 しかしそれ以前に、作品そのもののあり様が、伝染病を差別として助長しているようにしか思えてならず、ペーペーの演
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