物語化=虚構化 高知県の山中にある檮原(ゆすはら)という村は、愛媛との県境に近い。四万十(しまんと)川の最上流部にあたる四万(しま)川が流れている。その四万川のさらに上流の支流が茶ヤ谷という場所で、宮本は昭和十六年の二月、流れの橋の下に小屋掛けしていた「土佐源氏」をたずねて話を聞いたのである。 自ら「乞食」の身になったという男は、元馬喰(宮本はばくろうと平仮名で書いている)。みなし子同然の境涯で、少年時代に馬喰の親方のところへ奉公に出た。男がいうには、「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、女(おなご)をかまう事ですぎてしまうた」。 そして男の「色ざんげ」が始まるのだが、色ざんげという言葉がもつ湿り気がない。じめじめしていない。愁いの色はあるのだけれど、情事のあったときから十分に時間が経ったせいか、すでにゆるぎのない「物語」になっている趣きがある。 馬喰という身分では寄りつきよう