安政7年正月、茅部神社の氏子石賀理左文、友金宇平は近江の多賀大社に参拝したとき、同神社の石鳥居が日本一だと聞き、これより大きいものを地元に造り日本一にしようと考え、実測して帰った。 3年後の文久3年にその願いを果たしたという。石材は茅部神社のある岩倉山の花崗岩である。石工は、伯耆国倉吉の横山直三郎、郷原在住の米倉鉄造の2人が腕を振るった。 2本の柱と笠木・島木・貫・額束で組み立てた神明型鳥居で、柱は地中に基礎を作って下部を深く埋め地上の長さ11.45メートル、直径1.20メートル、下部約3メートルを別石で12角に仕 上げ、その上に円柱を継ぎ接合点は鉄の鎗でとめてある。地上から笠木の上端までの全高13.8メートルであったが、何度かの補修で下部を埋めたため現在10.65メートルとなっている。