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  • アフターファイブは都市伝説だと思っていました。 - ヒロニャン情報局

    私は就職してからの6年程、職場のサービス残業に苦労してきました。 職場は介護施設(デイサービス)で福祉系の大学を卒業後、新卒の相談員として入社しました。 デイサービスなので夜勤等はなく普通の企業と同じ勤務時間でした。 年末年始以外は営業日だったので休日はシフト制の会社でした。 最初の1か月位は試用期間ということもあり、定時退社しておりました。 その後だんだんと勤務時間が延び、半年後には毎日5時間程度のサービス残業が基となっていました。 上司も年上の同僚も早くに子育てを終えていることもあり、職場に残って夜中まで今までの業務や私生活に関する苦労話、他職員の陰口等を毎日の様に話していました。 その人達と同じデスクにいるのでそれらの話を全く無視することもできず、自分の業務がなかなか進まないジレンマと戦いながらの残業となっていました。 また、その同僚から「業務時間や残業中も業務に関係無い話をしてい

    アフターファイブは都市伝説だと思っていました。 - ヒロニャン情報局
  • 離婚しボロボロになった私・・人生やり直すことに成功 - ヒロニャン情報局

    大学を卒業して入社した会社で、3歳年上の上司がとても優しくしてくれるので惹かれました。 学生時代に男性と付き合った経験がなく、その上司仕事を教えてくれたり事に誘ってくれるので、好きになってしまったんですよね。 上司から告白されて付き合い始め、1年後に結婚して私は寿退社をしました。 この時はとても幸せだったのですが、その後転落人生へ。 夫は釣った魚にエサをやらない人だったのです。 私は若いのでもっと会社で働きたかったのですが、夫の希望で専業主婦になりました。 でも夫は生活費を少ししかくれないので、どこへも行けず家で1人で過ごすようになったんです。 夫からもえらる生活費が少ないので美容室へ行くのは1年に1回、化粧品も100円ショップで買いました。 若いのに肌がボロボロ、不眠になりました。 夫は飲み会、ゴルフ、趣味などに贅沢にお金を使ってリフレッシュしていますが、私は籠の中の鳥のような生活。

    離婚しボロボロになった私・・人生やり直すことに成功 - ヒロニャン情報局
  • 池袋貧乏体験。 - ヒロニャン情報局

    私が体験した人生の中で最もどん底に落ちた日をお話したいと思います。 それは私が20歳のときに●●で働いていたころでした。 父親からは暴力を振るわれ、逃げて1人で生活していく他ありませんでした。 そのほうが私にとっても、心理的にかなり楽でした。 人々からは『不潔だわ』『はしたない』と言われましたが、早くお金を稼いで1人で生活していくためにはそういった手段しかありませんでした。 父からの精神的暴力や身体的暴力を受けるよりははるかにマシだと感じました。 ●●といっても貰える手取りの金額はよくて9000円です。 悪くて一文なしです。 そのときの池袋での稼ぎは25000円でした。 おそらく社長が私にお客さんをつけてくれたのでしょう。 ほんとうに嬉しかったのを未だに覚えています。 そしてその日の夜は、ネットカフェに宿泊することにしました。 まだ勤めてまもない私にホテルに泊まれるような資金はありませんで

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  • 肺がんになり旦那と泣き明かしました。 - ヒロニャン情報局

    私は現在44歳の主婦です。 旦那と20歳、17歳の長女がいます。 健康には自信がありましたがそんな私が命の危機を感じた出来事がありました。 それは4年前のことです。 なかなか咳が止まらず風邪が長引いているかなと感じていたのですがあまりにも長いためかかりつけのお医者さんに相談したところ、すぐに大きな病院に行ってくださいと紹介状を渡されました。 その時、さすがに何かあるのではないかと気になりましたが旦那にも相談せずまずは病院に行きました。 CTスキャンやレントゲンを撮ったところ、肺がんのステージ4に達していることがわかったのです。 最初はまさか私がと言うことで信じることも出来ませんでした。 すぐに単身赴任中の旦那にも連絡し、先生にもう一度相談に行くことになりました。 この時頭をよぎったのはまだ中学生と高校生だった娘たちの成人を見届けることができるのだろうかということです。 インターネットですぐ

    肺がんになり旦那と泣き明かしました。 - ヒロニャン情報局
  • 最低な男との関係をスカッと解消してやった体験談 - ヒロニャン情報局

    近所の保育園で保育補助の仕事をしています。 当時は年長組のお手伝いをしていて、とても手のかかる子が多いクラスで大変でした。 物や人に当たったり感情的になって暴れる子どももいて補助でしたがそういう子どもの対応をすることもありただでさえ大変な業務に携わっていました。 その保育園では通常20人の年長クラスだと担任は2人なのですが、発達が気になる子どもが多いので担任が3人プラス私が補助で入っていました。 ある午前中の保育中、担任の当時25歳くらい3年目の男性保育士と保育室で10人位の子どもたちと過ごしていました。 一番言葉も乱暴で好き勝手な事をするカナトという子がいて、その時も部屋中を走り回ったり玩具を投げたり好き勝手なことをしていました。 療育などにも通っていて担任はそこの臨床心理士とも連携していてそこで言われているということで彼がいわゆる普通だと「走らないで」とか「玩具はなげちゃだめだよ」とか

    最低な男との関係をスカッと解消してやった体験談 - ヒロニャン情報局
  • 嫁と姑の修羅場に遭遇 - ヒロニャン情報局

    嫁と姑というのは、どんなに仲がいいと思ってもそうでないこともありますね。 仲良くしている方が、楽と思えるからです。 お互いに、嫌と思っていることがあったとしてもそれを伝えてしまうと終わりと思っているところがあるのですね。 そんな時、姑と一緒に暮らしている友人のことも心配していました。 そしてついに、その心配が当の修羅場となってしまったのです。 ここでは、姑と友人の修羅場に遭遇した時のことについてお話します。 ・いつも相談を受けていた 姑のことについて悩んでいると、その友人から相談を受けていました。 それは一緒に住むことにより、少しぐらいは嫌なこともあると思ったのです。 もしも私が姑と一緒に暮らすことになったら、とんでもなくストレスを感じてしまうことになると思いました。 その友人の話を聞いて、生活習慣が違う人との生活は無理と思ってしまったのです。 しかしその友人は、必死で頑張って我慢をして

    嫁と姑の修羅場に遭遇 - ヒロニャン情報局
  • 節約したいからと人の家の料理持って行くのはどうなんでしょうか - ヒロニャン情報局

    久しぶりに友人から電話があったので、私から「どこかでランチしようか?」と誘ってみたんです。 すると友人が「今お金ないから、あなたの家に行ってもいい?」と言われました。 私は正直お店でちょっと贅沢なランチをして楽しみたいなと思ったのですが、友人からお金がないと言われたのでまぁ仕方がないなと思い、うちでお昼をべることになったんです。 友人から「何か適当に作ってくれる?その代わり、私が飲み物とか持って行くから」と言われ、OKしました。 ちょっとオシャレなエビのトマトクリームパスタとサラダ、スープ、手作りのパウンドケーキを用意して待っていると、友人がやってきました。 手土産を期待していましたが、特になしで、飲み物はワインなどを用意してくれると思っていましたが水筒に入った麦茶でした。 まず、このことに軽くショックを受けましたね。 お金がないと言っていたからなぁと思うようにしました。 友人の外見にも

    節約したいからと人の家の料理持って行くのはどうなんでしょうか - ヒロニャン情報局
  • 友人がやっと離婚出来てホっとしています - ヒロニャン情報局

    去年やっと友人(41歳)が離婚しました。 結婚当初から離婚しなよ?と言いたくなる酷い結婚生活を送っており、離婚前は重度のになって入院までしていた程。 先日離婚から1年経過した友人と会ってみたら、昔のイキイキした雰囲気に戻っていて一安心。 今回は友人離婚苦労話についてお話しますね。 友人(仮にA子と呼びます)は授かり婚で結婚しました。 A子も旦那も20代前半で、知り合って1年目で入籍。 妊娠してしまったという事もあり、結婚前にお互いを知る時間が少なかったという状況でした。 酷いのは結婚してから。 結婚してからA子は出産します。 無事子供は生まれたものの、子育ての為に自宅にいたら借金返済の催促の電話がかかってきました。 借金の主は旦那さん。 借金したの?と問い詰めたら、A子の出産前から夜の街にハマっていて、その費用捻出の為に借金したのだとか。 A子からすれば、出産で苦しんでいる時に浮気した

    友人がやっと離婚出来てホっとしています - ヒロニャン情報局
  • 穴あきの服を貰ってくるドケチな生活をしている叔母さん - ヒロニャン情報局

    節約していると言えば聞こえはいいのですが、度を過ぎるとかなり引いてしまうものです。 親戚の叔母さんは、かなりの節約家。と言うか、ケチだと思います。 小さい頃は、節約してるのよ見たいに言われるとそうなんだぐらいにしか思っていませんでした。 しかし、大人になっていろいろと思い出して見るとかなりドケチだなと思うことばかり。 とにかく物持ちがいいのです。 紙袋や包装紙など溜めに溜めています。 多少はみんな置いているのかも知れませんが、数が異常。 押し入れにパンパン。 押し入れに入りきらずに、押し入れ前にも並べているので結局、押し入れ開けられず。 どうしてるんだろうと思います。 とにかく物が捨てれないようです。 いろんな物を衣装ケースや、小物入れ、いろんな収納ケースにところせましと溜め込んでいます。 あまりに上に積み上げているので、危ないかなと思って整理した方がいいよと話していましたが、いつか使うか

    穴あきの服を貰ってくるドケチな生活をしている叔母さん - ヒロニャン情報局
  • 祖母が銀行員を名乗る男から詐欺にあいました。 - ヒロニャン情報局

    このお話は私の祖母のお話になります。 私は、女手ながら仕事と家事を両立していたので、十分祖母の話を聞いてあげることができず、祖母が銀行員を名乗る男の人から詐欺にあってしまったのです。 銀行員として男性が訪れて、口座の開設などをするにあたり、利子がたくさんつく口座にお金を預け入れないですかと言うような感じのお話をしていたのです。 私もその人物が銀行員の方だと思い、その場を後にして仕事に行ってしまったのが事の始まりであると思います。 私が祖母から離れたことを確認してからだと思うのですが、何でも祖母の話を整理した所、あらかじめ用意してある口座にお金を預け入れる形でお金を入れるとその利子がプラスされこちら側の利益になるというような詐欺の話であると思います。 これは、単純に考えるとおかしいと判断できると思いますが、祖母の場合、利子がプラスされて儲かるということに頭が行ってしまったのでしょう、おかしい

    祖母が銀行員を名乗る男から詐欺にあいました。 - ヒロニャン情報局
  • 近所の子供との自転車のトラブル - ヒロニャン情報局

    子供が小学生になったのを機に、子供に自転車を購入しました。 近所の子も車の通りの少ない道を自転車で乗ったりしていて、うらやましそうに見ていたので、自転車に乗るときは、親と一緒に交通ルールを守って乗ることを約束しての購入でした。 ある日、自転車に乗る前に乗っていたストライダーが裏庭に止めて置いたのですが、芝生の上に放置されていました。 その時は子供が久しぶりに乗ったのかと思って、裏庭に戻しておきました。 しかし、また別の日に息子の習い事から帰ってくると、今度は駐車場にストライダーが放置されていました。 家から出かける前はこんな場所にはなかったので、一緒に出掛けた息子が乗ったものではありません。 子供に誰かに貸してあげるとか心当たりはないか聞いてみたのですが、そんなことは全くないとのことでした。 ストライダーの様子をよく見てみると、ついていたベルが取れてしまっていたり、傷も増えていたりと、粗い

    近所の子供との自転車のトラブル - ヒロニャン情報局
  • 彼の浮気相手からの私への嫌がらせ - ヒロニャン情報局

    私がそれを見てしまったのは、前に付き合っていた彼の車の中でです。 その彼とは、少し結婚のことも考えていたのでとてもショックでした。 そのショックから、しばらく立ち直ることができませんでした。 それはなんといっても、別の女性の影を感じたからです。 ここでは、彼の車の中で見てはいけないモノを見てしまったことについてお話します。 ・彼とのデートはドライブ 彼は車を持っていたので、デートをする時にはいつもドライブをしていました。 それはとても楽しかったです。 このままいい時間を一緒に過ごしたいなと思ったのです。 ドライブをして、レストランで事をしてその時はそのまま車で私の自宅まで送ってくれました。 ・シートに違和感を感じた 車でドライブをしているときに、ちょっとシートに違和感を感じることがあったのです。 それはお尻の部分がちょっと痛いのです。 どうしてだろうと思っていたものの、探すことができませ

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  • 精神科通院歴を隠して結婚した結果 - ヒロニャン情報局

    私は学生時代にストーカーに遭った経験があり、女子大学卒業後に就職した大手スーパーの事務員で働いていた時も、男性を見ると襲われる恐怖感に駆られて、精神的に病むことが多くなり、以降、精神科に通院していました。 精神科では、精神分裂症の妄想型と診断されました。 25歳の時でした。その後も男性恐怖症は治らず、まともに対応できませんでした。 もうこのまま独りで歳を取った両親と一緒に実家暮らしをするものだと覚悟していました。 そんなある日のことで、お見合いの話が来ました。 地元の大企業に勤務する1つ年上の男性でした。 眉毛が太くてタレ目で優しそうな面長の表情が印象的でした。 どうせダメだろうと思いつつ、一度あって見ても良いかなと考えてお見合いして見ました。 するとどうでしょう、今まで会ったことがないくらい、息がぴったりと言いますか、凄い穏やかでずっと笑っている感じの様な男性で、私はどちらかと言えば、ネ

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  • 近所にクレーマーがいるなんて最悪です!! - ヒロニャン情報局

    結婚して家を買う際、子供を庭で遊ばせたいという思いがあり、そこそこの広さのある土地を購入し、家を建てました。 道を一挟んで向こう側は昔から住んでいる古い家が多く、こちら側は新しい家がどんどん建っていました。 最初のトラブルは地鎮祭の時です。 急に40代くらいのジャージの男性が現れて、「道路に鏡つけるんじゃねーぞ」と言われました。 どこの誰かもわからず、とりあえず、はいと答えると道路を渡ったすぐの家に入って行きました。 鏡は道路から出る時に見ずらくても、自分の家の前に交通ミラーを設置するなということのようです。 交通ミラーは市が設置するものなので、うちに言われても、と理不尽に感じ、折角のお祝いの席が台無しになりました。 その後も工事の最中にはうるさいと苦情があったようです。 メーカーの方が対応してくれましたが、苦情があったとの報告を聞くたびに気持ちが重くなりました。 折角いいところに家を建

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  • 貧乏生活を15年頑張ってやってます - ヒロニャン情報局

    以前はオリンピックスタジアムそばに 自宅兼事務所としてデザインの会社をやっていて、月70万円以上稼いでいました。 ネット通販が流行った時期だったので、カードを使って数百万円使い込み、仕事も会社が潰れどうにもならずに自己破産してしまったのが運の尽きでした。 そこから難病の心臓疾患を患い余命五年と言われ、精神的にも病んでしまい、病で精神の身体障害者2級の手帳をもらい、心臓疾患も4級をもらい、貧乏生活の始まりでした。 自己破産したらまたやり直せばいいじゃん、ちゃらなんだからと、浅はかな考えで軽く考えていましたが、そうは世間が許してはくれず、今でも精神科で薬を15年間もらい続けて、余命五年の心臓疾患は助かりましたが、これも毎朝薬を飲んでいます。 精神科は月に二回かかり、一回あたり支援をもらい2,500円かかり、心臓疾患は三カ月に一回5,000円かかり、これらの病気はたぶん慢性的で死ぬまで飲み続け

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  • 40代崖っぷちの生活から自分に合う仕事が見つかりました - ヒロニャン情報局

    長い人生の中で一度や二度の挫折を経験した方は多いのではないでしょうか。 人生で大きなウエイトを占めるのが仕事。 余程のお金持ちでもない限り、学校を卒業して40年間以上に渡って働き続けないと生計を維持することはできません。 働く理由は考え方や価値観によっても変わってきますが、生活のために働いてる人が大半でしょう。 長い仕事人生、途中で辞めないで同じことを40年以上続けるのは至難の業です。 多くの方が一度や二度の転職を経験されたことがあるはず。 転職の理由はキャリアを積みたいなどポジティブ要素ではなく、給与面や労働環境そして人間関係などが多いですね。 私も例外なく、若い頃と比べて社内環境が悪くなり心身的にもストレスを感じるようになったため25年近く働いていた職場を辞めました。 ある程度の我慢は必要ですが、体の調子を崩してしまうほど我慢し続けるのは不徳だと思ってます。 心身的にも限界に達したので

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  • 初エステで恥ずかしい体験 - ヒロニャン情報局

    アラフォーになり、肌の老化や体重の増加などで女性として自信をなくすようになりました。 夫からは「女性として見られない」と言われたり、子供達からは「お母さん、もっと痩せて綺麗になって」と言われてしまい悲しくなりました。 何度かダイエットを頑張ってみたのですが、べることが好きなので続きません。 運動も苦手なんです。 年のせいで代謝が悪くそれほどべていないのに太ってきますし、なんとかしないといけないと焦っていました。 ある日独身の友人事をした時に、友人が一緒に「エステへ行こう」と誘ってくれたんですよね。 その友人はとてもスタイルが良くて肌もツヤツヤです。 どう見ても私と同い年には見えません。 主婦なのでエステにお金をかけるのはもったいないなと思ったのですが、夫に相談すると「キレイになるなら行ってこい」と言われ、ドキドキしながら初エステに行くことになったんです。 初めてのエステなので一人だ

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  • 言葉が出ない…思いがけない苦労 - ヒロニャン情報局

    私が人生で1番苦労した経験は、言葉を発することが出来なくなったことです。 当時の私は、仕事に忙殺され、毎日終電か終電すら逃して帰宅するような日々を送っていました。 あまりにも忙し過ぎて、疲労感さえ感じることが出来ない状態で、完全に心身の感覚が麻痺していました。 そんななか、ある日突然、私は言葉を発することが出来なくなったのです。 病院で耳や喉などさまざまな場所を検査しましたが、特に異常はなく、心因性の解離性運動障害による「失声」であると診断されました。 そのため、私は仕事を休職し、療養生活を送ることになりました。 療養といっても、特効薬があるわけでもなく、とにかくゆっくりと心身を休めることしか出来ることがなく、当時の私は、不安と焦りで真っ暗闇にいるような感覚でした。 何より、自分の思いを言葉にして伝えることの出来ないもどかしさが辛かったです。 家族に思いを伝える時さえ、紙に書いて伝えなけれ

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  • 毒親に関する辛い経験 - ヒロニャン情報局

    幼い時から暴力的な母親におびえながら暮らしていましたが、結婚を機にやっと離れられると思って実際に離れたところに住んでいたので、当に安堵していました。 夫の暴力や借金問題や転職を繰り返すなどのトラブルはあったものの、なぜかそんなことは軽々と乗り越えられるメンタルが身についていたのは、まぎれもなく母からの虐待の恩恵に他なりません。 しかし、結婚してからも私の生活を支配しようとしゃしゃり出てくる性格は変わらず、子供のころ機嫌を損ねると暴力を振るわれるヒステリーな母でしたが、体が大きくなってからは力ではかなわないと思ったのか、怒号やヒステリーで先手を打ってきます。 人格が崩壊している母に友達はおらず、親せきからも煙たがられているので家族しか頼る所はありません。 夫からも見放されていて別居している母ですので、何でもこちらに要求してくるどころかお金の無心までしてきます。 トラブルが嫌なのと情けないで

    毒親に関する辛い経験 - ヒロニャン情報局
  • 多額の借金が発覚!生きた心地がしなかった日々 - ヒロニャン情報局

    不妊治療をしていてやっと妊娠することができて幸せな毎日でした。 つわりがひどかったので会社を辞めて専業主婦になり、これからどんどん幸せなことが待っているんだろうなぁと想像していたんです。 でも夫の一言で、地獄に突き落とされることに。 ある日夫が帰宅し、「後で話があるんだけど」と言うので何かなと思いました。 ご飯をべている間もすごく夫の表情が暗かったので、どうしたんだろうとだんだん不安になってきたんです。 もしかして浮気したとか、会社を辞めたなどの重大な告白あがるのかなとすごくドキドキしました。 後夫が話し始めたんです。「実は借金があるんだよね」と。 最初は借金があると言われても、あまりピンときませんでした。 私が「どういうこと?」と聞くと、「不妊治療をしている時に、夫婦喧嘩が多くてストレス発散する為にギャンブルをしてしまった」と言われました。 確かに不妊治療をしている時に、なかなか妊娠

    多額の借金が発覚!生きた心地がしなかった日々 - ヒロニャン情報局