5月22日、土曜日、空には厚い雲。すごい湿気だけれど気温がさほど高くないので不快感はそれほどでもない。五反田まで歩き、山手線で日暮里まで行き、常磐線に乗り換えて南千住で下車。円通寺を目指して、南千住仲通りを歩く。 看板を見るとたくさんの商店があるはずだが、ほとんど閉ってゐる。なんとも淋しい感じだ。豆腐屋のおっちゃんに、これは緊急事態宣言の影響かと聞いてみる。いや、関係ない、ぜんぶ開いてゐてこれなんだ、豆腐屋と魚屋くらいしかないんだ。そうなのか。さびれた商店街というのは実に淋しいものだ。しかし人口減少社会とは要するに、いろんな街がさびれていくということなんだろう。 南千住仲通りを10分ばかり進むと日光街道に突き当る。交番に入って円通寺の場所を聞く。すぐそこである。お目当ては上野寛永寺の黒門と彰義隊の墓。上野寛永寺の黒門は明治40年(1907)、円通寺に移設されたのだ。入ると、いかにも無造作に