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表現に関するanselのブックマーク (2)

  • スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船

    来、佐藤亜紀氏への応答を先に行うべきなのですが、tikani_nemuru_Mさんへの応答をひとまず先に行います。佐藤亜紀様、「後回し」にして申し訳ありません。次回のエントリで応答させていただきます。 ⇒スターリニストなのでスターリンになりたくない(追記アリ - 地下生活者の手遊び だから私には「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」がわからない。最初この一節を読んだときは、ただの言葉遊びだと思ったことを正直にいっておきます。今は、それが言葉遊びでも詭弁でもないことはわかりますが、その意味するところは正直なところ腑に落ちてはまだわからない。私にとって表象は、それはそこにあるもので、読み解くものではない。読み解く主体は私にとって同志スターリンになってしまう。 私も正直に申し上げるなら、『言論・表現への法規制に抗するために』を一読した

    スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船
  • 逆鱗と道徳 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.3: 日記 『悪魔の詩』がそのような小説であることは承知です。当然読んでいるので、ダシにしているのではない。ムスリムが表現の自由を圧殺する、ということではない。そういうのは単に「ゴキブリどもを殺せ」というプロパガンダであり、よく言って偏見の羅列です。問題は、ある表現が誰かの逆鱗に触れたとき、強制力の行使としての「自力救済」を私たちは認めるか、ということです。認める、というのが私の立場ですが、自力救済の範疇に人殺しが含まれうるか。むろん含まれますが、自力救済の範疇に人殺しが含まれることは認めない、というのが私の立場です。五十嵐一氏の事件は時効を迎えました。犯人が出国中は時効停止しますが。 尊敬すべきイスラム研究者であった氏に対して「五十嵐氏はあのを翻訳しなければよかったのに」と、後から言えるか。当然、読者が言えるはずもない。にもかかわらず、表現が必然的に誰かの逆鱗に触れうる

    逆鱗と道徳 - 地を這う難破船
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