タグ

ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (30)

  • 「対話」の地平は蜃気楼の彼方に - 地を這う難破船

    年の瀬なので――遅ればせながらかつ手短になるけれど、書いておく。 ⇒はてなブックマーク - macska dot org » 在特会と通じる性質を見せる「反在特会」の取り組みと、「上から目線のエセインテリ」 ⇒はてなブックマーク - http://twitter.com/toled/status/6928448649 mujige  「在特会をやっつけた、ばんざい!」なんて思っている人は少なくとも私が知る限り(特に直接の被害者側には)いない。ともかく集会が無事開けてほっとしているという程度ではないか。ネット上ではそう見えるのか? はてなブックマーク - macska dot org » 日の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校に在特会が押し掛けた事件をネタに使ったつもりはなかったんだけれど、どうもそういう流れになってしまっている件について。 mujige  前田さん

    「対話」の地平は蜃気楼の彼方に - 地を這う難破船
  • BE FREE! - 地を這う難破船

    id:md2tak  よく考えれば、被害者が自身の行動・思考について内省する自由を侵害するようになる可能性もあるなぁ。そんなこと考えてもいないんだろうけど。 はてなブックマーク - Non-Fiction(Remix Version) | [ツッコミ]にしては底が浅い 「もっと気軽に女が男をレイプできる世界になると良いね。」「性別に関係なくみんな気軽にレイプできる社会が来ると良いですね。」という別の人の発言も目にした。その人は「表現の自由」の旗幟に立つ論者だった。別れたい……ではなく。――md2takさん。 「自由」とは差別の撤廃と同時に達成されることであり、また達成されてきたことです。そして、当然のことながら、この社会では達成されていないどころか「遠い夜明け」でしかない。だから、言うまでもないことですが、陵辱表現の商業的流通と――ミニスカートがそう指されるような――「女性の自由なファッシ

    BE FREE! - 地を這う難破船
  • 「法に逆らうな、売春婦」 - 地を這う難破船

    ――出典はクリント・イーストウッドの映画『チェンジリング』。映画館でこの台詞を聞いたとき、まことにイーストウッドだなと思った。脚を彼が書いていないことはもちろん知っている。 ⇒排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。 つまり、そういうことなのだが。そして、そういうことであることがわからない人は、どれだけ説明してもわからないのかも知れないとは思う。以下、mojimojiさんに対する批判ではない。 イーストウッドの映画には、毎度のごとく、法の側、秩序の側に立つ者であることを利用して、他者を抑圧し、服従させて、そのことに快楽を覚える、自身の所持する権力を自身の所持する「男」としての力と混同するサディストが登場する。あるいは偏見を公然と詳らかにする、自らを法を遵守する市民と規定する者が登場する。その、カテゴリーの意図的な反転はイーストウッド監督作の面白さであり、それ

    「法に逆らうな、売春婦」 - 地を這う難破船
  • リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船

    絶句したので書く。 ⇒はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ ⇒はてなブックマーク - YouTube - 在特会・東京デモを侮辱する反日シナ人が即撃沈される!(21年9 27) ⇒はてなブックマーク - http://news.2ch.at/news/s/news2ch24160.jpg id:hisamatomoki これはひどい, これはひどすぎる, デモ, 社会, 在特会, 政治, 酷使様  最悪の事態にならなかったことは不幸中の幸い。/ とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。/ 日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ hisamatomoki メタブクマ  参加者のところの情報(mixi)だけど、叩いて

    リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船
  • スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船

    来、佐藤亜紀氏への応答を先に行うべきなのですが、tikani_nemuru_Mさんへの応答をひとまず先に行います。佐藤亜紀様、「後回し」にして申し訳ありません。次回のエントリで応答させていただきます。 ⇒スターリニストなのでスターリンになりたくない(追記アリ - 地下生活者の手遊び だから私には「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」がわからない。最初この一節を読んだときは、ただの言葉遊びだと思ったことを正直にいっておきます。今は、それが言葉遊びでも詭弁でもないことはわかりますが、その意味するところは正直なところ腑に落ちてはまだわからない。私にとって表象は、それはそこにあるもので、読み解くものではない。読み解く主体は私にとって同志スターリンになってしまう。 私も正直に申し上げるなら、『言論・表現への法規制に抗するために』を一読した

    スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船
  • 逆鱗と道徳 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.3: 日記 『悪魔の詩』がそのような小説であることは承知です。当然読んでいるので、ダシにしているのではない。ムスリムが表現の自由を圧殺する、ということではない。そういうのは単に「ゴキブリどもを殺せ」というプロパガンダであり、よく言って偏見の羅列です。問題は、ある表現が誰かの逆鱗に触れたとき、強制力の行使としての「自力救済」を私たちは認めるか、ということです。認める、というのが私の立場ですが、自力救済の範疇に人殺しが含まれうるか。むろん含まれますが、自力救済の範疇に人殺しが含まれることは認めない、というのが私の立場です。五十嵐一氏の事件は時効を迎えました。犯人が出国中は時効停止しますが。 尊敬すべきイスラム研究者であった氏に対して「五十嵐氏はあのを翻訳しなければよかったのに」と、後から言えるか。当然、読者が言えるはずもない。にもかかわらず、表現が必然的に誰かの逆鱗に触れうる

    逆鱗と道徳 - 地を這う難破船
  • 「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない。そして同じ危険なら、わかりにくい危険よりはわかりやすい危険の方がいい」 - 地を這う難破船

    ⇒移民送り出し国だったころの日 - apesnotmonkeysの日記 ⇒http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090419#1240159767 ⇒不可解な反論をするひと - apesnotmonkeysの日記 「法は守れ」「カルデロン一家は出て行け」と主張している方々に満州事変以降の日の歩みをどう思うのか、聞いてみたいですな。九カ国条約のことはこの際問題にしないとして、石原莞爾のやったことは日の法に照らしても違法だったし、天皇の命令なしに軍を「国外」にまで動かした林朝鮮軍司令官の行動も同様。処罰されてもおかしくないのに前者は参謀部作戦部長まで、後者にいたっては総理大臣にまでなりましたが。 「カルデロン一家は出て行け」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループと「カルデロン一家に在留特別許可を」と主張する(ないしそうした主張にシンパ

    「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない。そして同じ危険なら、わかりにくい危険よりはわかりやすい危険の方がいい」 - 地を這う難破船
  • 俺たちに明日はない、か - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - 元詐欺師・逮捕歴有りの新風のオヤジが在日韓国人青年に喧嘩売る→ぶっ倒され泣き言(笑) - Transnational History 動画⇒動画 - はてなダイアリー ⇒自称愛国者が今日ヘイトスピーチをばらまく呼びかけをしていることに思う - U´Å`U ⇒昨日の続き - U´Å`U この弁士の方に申し上げたいのは、言論に暴力で対応するくらい誠実な対応はないということ。鼻をつまんで通り過ぎるとか、あるいは一瞥して通り過ぎるとか、そういう不誠実な対応を退けてきたのが右翼であって、だから歴史的に右翼は、動画の青年のような情念の受け皿として機能してきた。人種主義に対する憤りの受け皿として。その憤りを、連帯の基盤として。右翼とは一種のインターナショナリズムなのでもちろん国粋主義ではないし「在日」だって受け入れる。 そして、たとえば動画の青年が右翼になって万一テロでも起こし

    俺たちに明日はない、か - 地を這う難破船
    ansel
    ansel 2009/04/13
    『race間の憎悪を煽動することがなぜ問題か。社会における市民合意を毀損するからです。そこには、race間の憎悪が歴史的な前提としてある。』
  • 無徴と民族性 - 地を這う難破船

    ⇒「個人に依拠する」ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。 一連の議論を拝見していて、mojimojiさんが言っておられることと、かつて福田恒存が言っていたことと、どう違うのだろうと考えていた。保守は近代主義で個人主義で、近代の問題としてあった民族「主義」に対して批判的だった。どう違うかというと、保守は存在論的に「個人」を規定しはしない。 たとえば実存主義においては、個人はそれを取り巻く関係性を「括弧に入れて」規定される。サルトルが括弧に入れたもの、あるいは切り捨てたものについて、たとえば福田恒存は批判した。実存がありうるとして、実存と関係性は切り離せない、と。「その人」を取り巻く関係性が、その実存を囲い込む。囲い込みを切り捨てるためにこそ、実存という概念をサルトルは掲げた。切り捨てるための概念であって、その切断には意義があった。 問題は、切断の理由と意味に気が付かないままその概念

    無徴と民族性 - 地を這う難破船
  • だいたいで、いいじゃない。 - 地を這う難破船

    ⇒胎児はいつからニンゲンとなるのか? - 地下生活者の手遊び ⇒2009-04-03 吉隆明と大塚英志の対談集に『だいたいで、いいじゃない。』というのがある。 だいたいで、いいじゃない。 (文春文庫) 作者: 吉隆明,大塚英志出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2003/09メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 26回この商品を含むブログ (33件) を見る 「だいたいで、いいじゃない。」とは現在生きている人間を見なさい、ということで、生きている人間の原器は「だいたい」なのだから、と。人間存在とはルーズなもので、そのルーズが生きるということなのだから、未知生焉知死でなく今そこにある人間のルーズな生を見て、生きなさい――というのが吉隆明の説いた「大衆の原像」の意味だった。それは、単なる日共批判でも前衛批判でも知識人批判でもない。 何の話かというと――私たちの生は無数の恣意的な決定

    だいたいで、いいじゃない。 - 地を這う難破船
  • 知的誠実という真理はない、そして、リベラルというドグマについて - 地を這う難破船

    ⇒否定神学と左翼 - 地を這う難破船 id:CrowClawさん、お返事ありがとうございます。引越しされるとのことで、新生活がgoodなものであることを。放置していたのではなく、まとまった時間が取れたらお返事したく思って、結局新年度になりました。忙しい最中でも書けるエントリというのはあって、余所見と言えば余所見ですが、そちらをアップしていたのでした。申し訳ありません。 またしても順不同の引用になってしまいますが。以下、特に断りなき場合、CrowClawさんのコメントからの引用。 今回の応答で、sk-44さんははっきりと「否定神学の立場から基的人権の自明を掲げる議論を批判するなら、それは簡単でしょう。安易の極みです」と書かれていますが、これは勿論(地下に眠るMさんも言われてますが)レトリックな訳ですよね。修辞としては確かに「的確」だとは思いましたが、正確ではないと思います。 「ブレヒトのも

    知的誠実という真理はない、そして、リベラルというドグマについて - 地を這う難破船
  • 「羊」をめぐる冒険 - 地を這う難破船

    ⇒negative_dialektik はてな村出張所 ⇒negative_dialektik はてな村出張所 最近、千数百年の長きにわたって、日史の記述の中で、悪者扱い逆臣扱いされてきた、蘇我氏の名誉回復につながる様な研究が進んでいます。 進歩的な外交をしようとした蘇我入鹿らに反対する、中大兄皇子と中臣鎌足らが共謀して、クーデターによって入鹿らを殺害して、それを正当化するために、『日書紀』の記述を改竄し、名前までも蝦夷のような印象の悪い名に変えて、蘇我氏は逆臣だった、という「正史」を残した、という学説が出てきています。 私はこれを大変興味深い学問的研究だと思いますが、これをしも、「おぞましい歴史修正主義」と人は呼ぶのでしょうか。 この事例からも想像できるように、「正史」というものは、強者・権力者が書き残すものです。しばしば自分の都合のいいように歪曲しながら。そこに書き記されている歪み

    「羊」をめぐる冒険 - 地を這う難破船
  • 否定神学と左翼 - 地を這う難破船

    承前⇒誰が為に鐘は鳴る? - 地を這う難破船 id:CrowClawさん、お返事ありがとうございます。 以下、引用が順不同になってしまいますが。 申し訳ありません。私の議論は私の問題意識に基づいたものだったのですが、確かにwiseler氏の元々の主張とは事実かけ離れていたし、それが「為にする議論」に見えたのも仕方が無かったと思います。自分自身では正直なところあまり自覚が無かったのですけども。 壁を「正義」でなく「体制」の隠喩としてCrowClawさんは論じておられた、ということですか。 そうです。 マジコンもガザもそもそも関係なかった、ということですね――CrowClawさんの問題意識においては。pbhさんのことに言及しておられたことの理由がわかりかねたのですが、某所でpbhさんについて「追放された」と書いておられたのを拝見して、合点が行きました。「その発想はなかったわ」というのが私の感想

    否定神学と左翼 - 地を這う難破船
    ansel
    ansel 2009/03/16
    「否定神学とは、人間の本性を当為命題を退けて暴くための修辞です。」「「画餅」と指摘することが肯定神学の不可能を指摘することと同義と考えることは愚かしい。」
  • エルサレムと表現 - 地を這う難破船

    ⇒立命館大学におけるセクハラ写真の撤去を支持する - あままこのブログ ⇒性は「社会的」なもの。だからこそそれは「社会的」に表現されなければならない - あままこのブログ 思ったのだが。私は現物を現場で直接目にしたわけではない。とはいえ筋論として「写真の展示」は「主張」ではなく「表現」ではないのか。表現に主張が付随することと表現それ自体は別です。そして「表現」が「撤去」されることは問題です。「主張」と別の問題ならなおのこと。「自由な社会」において「不快感」が「猥褻」概念を構成するか、ということに議論が存在するとき、「不快感」において「表現」の「撤去」を支持することは、筋としても悪い。 性はもちろん個人的であって、個人的なものが公共に提示され問われるから「表現」なんです。個人的なものを公共に提示することが問いを意味する社会である限り。表現としての出来不出来や巧拙はあるしまた表現として問われる

    エルサレムと表現 - 地を這う難破船
  • 論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船

    承前。 ⇒悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所 ⇒そんなことよりラブシャッフルしようぜ! - 地を這う難破船 takerunba @y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討する場ではないからセクハラではないよ。絶対的に正しい正答はないという状況下でないとGDは成立しない。価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。 http://cento.sakura.ne.jp/sb/log/eid313.html ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。 Lord TAKERUNBA on Twitter: "ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。

    論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船
  • 「私は、貴方に、用がある」 - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/napsucks/20090112/1231746630 派遣村にはハートマン村長が必要だった。全員整列させて「その日まではウジ虫だ!地球上で最下等の生命体だ!」「両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!」「じっくりかわいがってやる!泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」「スキンのまま生まれたクソバカか、デブ?それとも努力してこうなったのか?」「起きろ!起きろ!起きろ!マスかきやめ!パンツ上げ!」的なプレゼンテーションをTVカメラの放列の前で連日。訓練キャンプ化する派遣村、でだいたいあってるのだから正月真冬の日比谷公園で『シルミド』のごとく上半身裸で丸太渡ったり丸太担いだり丸太ボコッたり脱走者を丸太に縛り付けてボコッたりしているところを報道陣に示すべきだった。意味?「大道芸人と困窮者は汗をかかねばならない」。 それが無理なら、イニシエーションの

    「私は、貴方に、用がある」 - 地を這う難破船
    ansel
    ansel 2009/01/16
    『人は「私は、貴方に、用がある」と示す必要があり、人から示される必要がある。』
  • 「暢気」な社会とヘイトスピーチ - 地を這う難破船

    既に旧聞に属するかも知れないけれど、ヘイトスピーチ規制論について話題になっていたので、少し書いてみる。一連の東氏の議論と、たぶんド真ん中で関係ある話なので。 ⇒革命的非モテ同盟跡地 カントは偉大であるけれど、歴史存在としての人類社会において言論や表現はアプリオリに自由ではない。だから、ヴォルテールの原則は重要なのであって、300年前、カントに30年先んじて生まれたヴォルテールは言論や表現がアプリオリに自由であるとは微塵も考えていなかった。 私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命を賭けて守る。 ヘイトスピーチの問題とは、アプリオリに自由な行為としての言論や表現と、歴史的かつ原理的にもアプリオリではありえない言論/表現の自由を担保する私たちの――かつての村上春樹の言葉を借りるなら――「開かれたサーキット」の両立可能性を問う、市民社会ある限りその臨界として指し示される課題

    「暢気」な社会とヘイトスピーチ - 地を這う難破船
    ansel
    ansel 2008/12/25
    言論/表現の自由とはアプリオリな原理でも自然の摂理でもない。社会の構成員の選択の結果として更新され続けるもので、選択のためには私たちはそのとき限定的にも市民的存在たる「人間」を務めなければならない。
  • 悲しいけどこれ結婚なのよね(甲斐性が問われるとき) - 地を這う難破船

    ⇒そこに愛はあろうとも - 地を這う難破船 beijaflor 2008/08/27 01:41 >そして夫の子に対する「思い」や「愛」が、親の子に対する「思い」が「愛」が、犯罪行為を正当な処罰へと至らしめないことが幾らもあって、それが時を経て破裂することもまた幾らもある。 私の感覚では「夫の子に」ではなく「子の夫に」、「親の子に」ではなく「子の親に」の方がしっくり来るのではないか、と思ってしまうのですが。何か意図あっての表現なのでしょうか? beijaflorさん、はじめまして。御質問についてですが、この件について新たに掲示された記事とそのブックマークコメントに目を通して思うところがあったので、改めてお答えしてみます。 ⇒なぜ親の承諾が必要なのか?・・・二人だけでは結婚できない現状 - ohnosakiko’s blog ⇒はてなブックマーク - なぜ親の承諾が必要なのか?・・・二

    悲しいけどこれ結婚なのよね(甲斐性が問われるとき) - 地を這う難破船
  • 思考実験と将棋 - 地を這う難破船

    ⇒捨て駒にされる将棋の駒は「かわいそう」か - 吾輩は馬鹿である ⇒ご冗談でしょう、Apemanさん - 吾輩は馬鹿である ⇒コメント欄延長 - 吾輩は馬鹿である 長めに引用させていただきます。 福耳氏の講義の主旨は、状況は所与のものとしてその中での行動を考えよという問題に関するものであって、トリアージはその一例として持ち出されたものである。 つまり、必要に応じて話の枠組みをあらかじめ限定した上でものを考えてみよ、というのが福耳氏の問題提起である。そして、これに対して「かわいそう」という反応は「ナイーブ」と呼ばれて当然であろう。話の前提を否定してしまっては何の意味もないからだ。 記事冒頭に掲載した架空の問答はこの状況を説明したものである。この観点からすると、「トリアージのような極限状況を発生させないためにはまず医療資源を充実するなどの対策を取るべき」といった批判はずれているとしか言いよう

    思考実験と将棋 - 地を這う難破船
  • Sokalianさんへの再レス - 地を這う難破船

    ⇒吾輩は馬鹿である ⇒で、トリアージ批判は一般人に理解可能なの?不可能なの? - 吾輩は馬鹿である 増田氏がはてなダイアリーを開設した模様。REVさん同様、私も嬉しく思います。Sokalianさん、idとしてははじめまして。丁寧なレスポンスを有難うございます。改めて再度お返事させていただきます。最初に。 確かにトリアージは「他者性なき一般論」でしょう。しかし、それはトリアージに限ったことでもないし、ある種の状況においては「他者性なき一般論」を用いる以外公平性を担保する適切な方法がないのも実情です。 事実、私は「他者性なき一般論」のよい例をいくつもあげることができます。例えば、年齢のみを基準とした義務教育や普通選挙。万人に平等な基的人権や法治主義。こうした概念は「他者性なき一般論」であるからこそ、成功をおさめたものです。 まさかこれらのものにホロコーストと同様の問題があるとはおっしゃいます

    Sokalianさんへの再レス - 地を這う難破船
    ansel
    ansel 2008/08/14