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2018年8月17日のブックマーク (3件)

  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
  • 【番組評】NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」 - 読む・考える・書く

    9月10日(日)に放送されたNHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」は、衝撃的な番組だった。 米軍が沖縄に核兵器を配備していたこと自体は、以前からある程度知られてはいた。しかし、それがこれほどの規模で、かつこれほど危機的状況だったとは知らなかった。恐るべき現実である。 番組HPより: 45年前の土復帰までアジアにおけるアメリカ軍の“核拠点”とされてきた沖縄。これまで、その詳細は厚いベールに包まれてきた。しかし、おととし、アメリカ国防総省は「沖縄に核兵器を配備していた事実」を初めて公式に認め、機密を解除。これを受け、いま「沖縄と核」に関する極秘文書の開示が相次ぎ、元兵士たちもようやく重い口を開き始めた。そこから浮かび上がってきたのは、“核の島・沖縄”の衝撃的な実態だ。(略) この番組が告発しているポイントのうち、特に重要なのは以下の3点だと私は思う。 那覇近郊で起きていた核ミサイ

    【番組評】NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」 - 読む・考える・書く
  • 母が亡くなった後の手続きを自力でやりきったので記録しておこうと思う (1) 葬儀とその時期の手続き - backyard of 伊勢的新常識

    5月、母が亡くなった。 このことについて、心情的なところを書き始めると僕もつらいし興味ない話なのでここで語るのは避けようと思うが、人が亡くなった後の手続きはいろいろ参考になることも多いと思うので書き残しておこうと思う。 連載インデックス (1) 葬儀とその時期の手続き (2) 戸籍謄の収集 (3) 法定相続情報一覧図の写しの作成 (4) 遺産分割協議書の作成 前提 僕の両親は離婚していて、その後母は再婚していない 兄弟は3人。長男の僕と次男の弟、そして長女にして末っ子の妹がいる。 僕は東京住まい、弟は兵庫県で父と住んでいて、妹は大阪で母と住んでいた。 兄弟仲は悪くない状態になっている 過去は一言も口をきかないレベルで、母を通じてお互いを知るという状況だった。 不動産などの大きな財産はなかった 役に立った インターネットで色々調べたけど、それぞれが書きたいことを書いている感じで何が正しい

    母が亡くなった後の手続きを自力でやりきったので記録しておこうと思う (1) 葬儀とその時期の手続き - backyard of 伊勢的新常識