口調のよさから評判に 考えたのは父親だった ひとり歩きを始めた標語 戦時中の有名な標語「欲しがりません勝つまでは」。1942年(昭和17年)、大政翼賛会と新聞社が「国民決意の標語」を募集した「大東亜戦争一周年記念」の企画で、32万以上の応募の中から選ばれました。国民学校5年の少女が作ったとされるこの標語。実は、誰にも言えなかった「うそ」がありました。 口調のよさから評判に 標語を募集した企画では、入選10点、佳作20点が決まりました。入選作の一つが「欲しがりません勝つまでは」でした。作者として応募したのは、当時国民学校5年、11歳だった三宅阿幾子さんでした。「さあ二年目も勝ち抜くぞ」「ここも戦場だ」「今日も決戦明日も決戦」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などは、いずれも大人の作品で、三宅さんの標語は口調のよさから評判になりました。