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workとhistoryに関するaqulosのブックマーク (3)

  • 「百姓から見た戦国大名」 - H-Yamaguchi.net

    いわゆる「網野史観」というのがある。2004年に亡くなった歴史学者網野善彦氏らが提唱した、権力者よりむしろ民衆に注目する歴史のとらえ方、とでもいえばいいだろうか。歴史学者の間ではいろいろな見方があるらしいが、現存するさまざまな資料と整合的なところがたくさんあるし、少なくとも素人である私の目から見れば、「えらい人々」の歴史よりよほど面白く説得力がある。 このは、網野史観にも似た「民衆からの視点」をもって戦国時代を見たもの、といえる。戦国時代というと、私たち素人はつい、合従連衡とか下克上とか、天下統一へ向けた武将たちのドラマとかロマンとかみたいなものばかり思い浮かべてしまう。その「陰」で民衆は泣いていたのでは、なんて想像する人も多いだろう。戦乱の世にあって、家族との平和な日々を夢見ながらも横暴で権勢欲旺盛な君主に駆り出され泣く泣く戦場へ、なんて今ふうに考えてしまいがちだが、とんでもない。そん

    「百姓から見た戦国大名」 - H-Yamaguchi.net
  • 子供を可愛いと思わなかった時代

    痛いニュース(ノ∀`):【赤ちゃんポスト】 3歳男児「おとうさんに、『かくれんぼをしよう』っていわれた」 痛ニュで、こんな記事出てたし、昨日はイギリスの子どもとかの話したんで、せっかくなんで、今日はイギリス近代の子ども観のお話。 先日の記事で扱ったように、西欧においては、「子供は無垢で愛すべき存在である」という伝統がそもそも無かった。無論、中には、今のような形で、子どもを愛す親もいただろう。だが、それは少数であったといわざるを得ない。中世における西欧の親達は、子どもを今とはまるで異なる視線で見ていたし、そういった視線は、社会内において、タブーでもなんでもなかった。 何故、西欧の、とくに中世においては、そういう感情を人間はもたなかったのか?そういう話について、簡単にうかがい知れるのが、 こちらの書籍になる。「子ども観の社会史」は近代イギリスの共同体、家族、子どもの変遷について扱った書籍である

    子供を可愛いと思わなかった時代
    aqulos
    aqulos 2007/12/03
    親が子供を愛することは、当然か? という話。
  • 説得力が違うわ落合監督 - 「やってみるさ」

    レッド吉田が言っていて、途端に思い出して探してみたら見つかった。しかもホンモノのプロ野球ファンはこの事を既にしっかり思い出していたらしく、結構言及が多かった。さすがの一言です。 元々落合采配は凄い物見せて貰った、こんな監督サッカー界に欲しいなぁという側の人間だったんだけど、玉木正之のコメントを読んだ時には是非よりもまず何より「ちゃんと仕事しろ」という意見が勝ったので何とも思わなかった。しかしこれにやくみつるが乗っかってきたから途端に香ばしくなってきた。 けどこの体験の当事者ならばそりゃああの采配も当然だ。行動の重みも変わってくるというもの。酸いも甘いも体験してきたからこそのあの決断。そのバックボーンを確認できたお陰で、個人的にはこの問題はスッキリしました。 玉木もやくみつるももっとまともな仕事して下さい。

    説得力が違うわ落合監督 - 「やってみるさ」
    aqulos
    aqulos 2007/12/02
    経験したからこその決断。
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