徳島市の県立博物館で7日から始まる国立公文書館所蔵資料展「近代日本と徳島のあゆみ」で、徳島大空襲の被害について記録した報告書の原本が県内で初めて公開される。徳島大空襲の被害を記録した日本側の公文書として存在が確認されている唯一の文書で、注目を集めそうだ。 被害報告書は1945年7月4日未明の徳島大空襲について、当時の徳島地方裁判所の清田一郎検事正が司法大臣に宛てた文書。死傷者数や建物被害、治安状況などが詳細に記録されている。 被害状況は被災者7万1703人、死者734人、重傷者251人、軽傷者424人、行方不明者121人。家屋は1万7951戸が全焼、62戸が半焼したと記録され、被災者数などは米軍の空爆記録とほぼ一致している。 大空襲について記録した日本側の公文書は存在していないとされていたが、戦争について調べている愛知県の民間研究者が公文書館の所蔵資料として初めて存在を確認。徳島新聞
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〒770-8070 徳島市八万町向寺山 文化の森総合公園内 TEL 088-668-3700 FAX 088-668-7199
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徳島文理大人間生活学部建築デザイン学科の4年生2人が、明治期に皇太子殿下(後の大正天皇)の宿泊所として徳島中央公園内に建てられた千秋閣を、コンピューターグラフィックス(CG)で復元している。戦前の徳島を代表する建築物を後世に伝えるのが狙い。月末までに完成させ、県立文書館に復元データを寄贈する。 文理大によると、千秋閣は木造平屋で床面積約1500平方メートル。外観は御殿建築で、1908(明治41)年に完成した。現在の徳島城博物館付近に建てられ、大広間や和室のほか洋室も備えていた。皇太子殿下の宿泊後は演奏会や講演会などに使われたが、45年の徳島大空襲で焼失した。 復元に取り組んでいるのは藤山愛さん(22)と吉岡茜さん(22)。同科の森岡英之教授(建築生産学)が描いた詳細な千秋閣の平面図などを基に、パソコンの設計専用ソフトを使って8月からCGの制作を始めた。 県立文書館から借りた100枚以
すでに古文書講座(初級)を修了されている方や、古文書読解の経験がある方を対象に、歴史資料としての古文書の面白さを体験していただきます。 より深く、より広く、徳島の古文書に触れてみませんか。多数のご参加をお待ちしています。
徳島県立文書館長の結城孝典さんは、これまで継続的に陸前高田での被災公文書修復ボランティアに参加されてきて、今年11月にも5度目となる訪問を終えられたところです。 その結城さんから、復興の印象や作業の進み具合についてコメントをいただきました。 また、現場写真もお願いしたところ、さる8月の訪問時に撮影された写真に解説をつけて提供くださいました。 全史料協が関わった陸前高田の文書保存の今を、ご確認ください。 徳島県立文書館長 結城孝典 私が最初に陸前高田市を訪れたのは、平成24年1月でした。その頃はまだ市街地のいたるところに瓦礫の山がありました。平成25年11月時点では、市街地の瓦礫は少なくなり、隣接する山から運ばれた土砂の仮置き場があちらこちらに見られていました。現在も市街地のほとんどはまだ更地の状態であり、新たな生活空間ができあがるまでには、かなりの時間がかかりそうに思えます。 全史料協が関
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