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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (2)

  • 青春時代を彷徨い続けるオジサンが大人の音楽を騙るなんて、ちゃんちゃらおかしい - シロクマの屑籠

    俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!(富澤一誠) - 個人 - Yahoo!ニュース リンク先では、61歳の音楽評論家が現代のミュージックシーンについて「青春時代の音楽を取り戻して欲しい」「30年程前のあの〈熱狂〉をもう一度」と熱弁を奮っている。率直に言って、驚き、呆れた。 あるていど歳を取った人が、青春時代に耳にした曲を大切に思う気持ち自体はわかる。私だって、自分が青春時代を過ごした頃の音楽――それは小室哲哉であったり、渡辺美里であったり、ミスターチルドレンであったりする――を聴くと、若かった頃が思い出されて胸が高鳴る。だから、リンク先の音楽評論家さんがフォークソングを特別に思う気持ちそのものはおかしいとは思わない。 だからと言って、自分の世代の音楽だけを「真の音楽」「大人のための音楽」と吹聴するのは、いかがなものか。 これが、(西洋でいう)クラシック音楽

  • 「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠

    先日の記事の補足として。 今、思春期の後半と言われている20代後半〜35歳ぐらいの年齢には、思春期という言葉と表裏一体だったはずの、モラトリアム*1という言葉があまり似合わない、と思う。それぐらいの年齢になっても進路や生き筋を自由選択できる幸運とタフネスを持った人もいないことはないが、あくまで幸運だったりタフだったりする比較的少数の人達である。大半の人達においては、三十路を迎えた頃というのは、色々な事がかなりのところまで決まっている or 決まりつつある最終段階に相当する。決まりつつある、という意味ではぎりぎりモラトリアムとも言えなくもないが、夏休みに喩えるなら、八月三十日や八月三十一日を夏休みと呼ぶのと同じようなものではある。 実際には、三十路を迎えた大半の人は、自分の人生のかなりの部分を既に選んでしまっている。まだ会社は変えられるし、恋愛経験のある人なら結婚相手を選べる可能性もある。し

    「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠
    arerreee
    arerreee 2012/12/30
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