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カラマーゾフの兄弟に関するasahinoataruのブックマーク (11)

  • 「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』

    金曜ドラマ『俺の家の話』(TBS系)が佳境に差し掛かっている。作を見るにあたって、知っておくべき文学作品が『カラマーゾフの兄弟』(フョードル・ドストエフスキー/1880年)だ。ここでは、『カラマーゾフの兄弟』と『俺の家の話』の関連性をいち早く指摘していた東京都立大学・武蔵野美術大学非常勤講師で文学研究者でもある青木耕平氏が論考する。 『俺の家の話』(公式HPより) 宮藤官九郎脚、長瀬智也主演で現在放映中のTBSドラマ『俺の家の話』は、「父殺し」の物語であるドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の枠組みを借りて描かれる「父の介護」 の物語だ──。記事の主張は以上である。 これが無理のあるこじつけではないことを示すため、まずは『 俺の家の話』第1話の内容を振り返り、家族構成/人物相関図を確認しよう。 『俺の家の話』(公式HPより) 物語の主人公・観山寿一(長瀬智也)は、能楽の宗家にして人

    「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』
  • [書評]カラマーゾフの妹(高野史緒): 極東ブログ

    奇妙な表題の『カラマーゾフの妹(高野史緒)』(参照)は、1966年生まれの日の作家(SFなども得意とする作家であり、いわゆる純文学形の作家ではないが)高野史緒が、ドストエフスキーの大著『カラマーゾフの兄弟』の続編をモチーフに書いたミステリー作品。第58回江戸川乱歩賞受賞作も受賞し、専用サイトには賛辞が並んでいる(参照)。 「これだけでも独立した作品として十分に楽しめるように書かれているが、ドストエフスキーの原作におもむけば読書の快楽は倍加する。難解長大で敬遠されがちな古典の読みどころを、書は的確に教えてくれるからである。快作に脱帽。」 沼野充義 「毎日新聞」2012/8/5 私の印象では、どちらかというと独立した作品として読んだほうがよい。ただし原作を知っていると確かに「読書の快楽は倍加する」。リーザの描写やそれに関連するアリョーシャの描写など爆笑して腹痛え状態になった。それが「古典の

  • 「ドストエフスキーの栞」 - カラマーゾフの兄弟

    紹介文 ドストエフスキー最期の作品であり、それまでに培った技法と思想が凝縮された最高傑作であるとの評価が高い作品。 ・カラマーゾフ家の父と子供達を描いた家族小説 ・アレクセイと少年イリューシャの交流を描いた社会小説 ・後に生ずるおぞましい事件を描いた犯罪小説・推理小説 ・イワンの語るかの有名な作中作『大審問官伝説』や『ゾシマ長老の生涯』 ・アレクセイの信仰の揺らぎを描いた思想小説 ・車椅子に乗る少女リーズとアレクセイの恋 ・フョードルとドミートリーのグルーシェニカを巡る争い ・カテリーナを巡るドミートリーとイワンの葛藤を描いた恋愛小説 など、1作の中にさまざまなドラマ、村上春樹言うところの「総合小説」としての魅力の詰まった至上の作品。 国制作の映像作品でより深く理解 ■物語が分かりやすい! 原作は登場人物が多く、それぞれの視点から読むことができるのが特徴。しかし、それで

  • asahi.com:「カラマーゾフ万歳!」の心、世界へ 亀山郁夫さん - 特集 - BOOK

    「カラマーゾフ万歳!」の心、世界へ 亀山郁夫さん [掲載]2007年10月26日朝刊 ■秋の読書特集 第1特集 翻訳新世紀―新訳で文豪を楽しむ 世界文学の最高峰と目されるドストエフスキー最後の作品『カラマーゾフの兄弟』――。物語は、ロシアのとある田舎町を舞台に、カラマーゾフ家の主人フョードルを殺した犯人はだれか、の謎ときを中心に展開する。原稿用紙に換算しておよそ3000枚の超大作、生半可な覚悟ではとうてい読み通せない難解小説というのがこれまでの定説だった。 かめやま・いくお 49年生まれ。東京外国語大学長。ロシア文学。『磔のロシア』で大佛次郎賞。ほかに『ドストエフスキー 父殺しの文学』『「悪霊」神になりたかった男』など。 厳密な言い方をすれば、作家は、人間の心のあらゆるレベルにおける「父殺し」の意味を問い、直接の下手人をけっして真犯人と名指しすることはない。そこが並のミステリーと違うところ

  • [書評]『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する(亀山郁夫): 極東ブログ

    「極東ブログ: [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳)」(参照)で扱った新訳「カラマーゾフの兄弟」の訳者がその訳業に重ねて、満を持して発表した続編説であり、現在水準の研究成果も反映し、穏当とはいえないにせよ、さすがに否定しがたい圧倒的な想像力をもって書かれている。編集者の女性もものすごいお仕事をされたようだ。新訳カラマーゾフの兄弟の魅了された人にとっては必読書になるだろう。 ただ私は、亀山の想定はもっとも大きな線で間違っていると思った。ブログなので夜郎自大な話になるかと思うし、別の書評のようにあえて韜晦に表現しておくほうがいいのかもしれない、が、率直に書いておきたい。 私の読みが間違っているということは大いにありうるというか、その留保は当然のこととして、なぜカラマーゾフの兄弟という小説が書かれたのか、この小説のテーマは何かということが、「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する(亀山郁夫)」

  • 新訳「カラマーゾフの兄弟」 売った「仕掛け」 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    今月完結したドストエフスキーの新訳『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫)が売れている。第1巻の11刷、7万1000部を筆頭に全5巻で累計23万部に達した。 好色で金に汚い父フョードル殺害をめぐるドミートリー、イワン、アレクセイの三兄弟の物語は、長い会話文やロシア特有の人名の複雑さで、なかなか読み通せない作品だ。なぜ、これほどの反響を呼んだのか。東京大学で22日に開かれたシンポジウム「ビバ!カラマーゾフ」で、東京外大の亀山教授が苦労の一端を明かした。 新訳出版の最初の障害は、自身の心理的抵抗感だった。1970年代に訳した原卓也、江川卓は教えを受けた世代にあたり、「新訳は先行訳を否定する面がある。どこかにやましさがあったが、読みやすさを心掛けた」と話す。 同じ19世紀ロシアの作家でも、チェーホフやトルストイは比較的読みやすい。ドストエフスキーの原文は逆接の接続詞や関係代名詞が

  • asahi.com:ドストエフスキー新訳「カラマーゾフの兄弟」が人気 - ひと・流行・話題 - BOOK

    ドストエフスキー新訳「カラマーゾフの兄弟」が人気 2007年09月01日 19世紀のロシアの文豪、ドストエフスキーが時ならぬブームとなっている。新訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)は全5巻で30万部を超え、古典としては異例のベストセラー。トークイベントも相次ぎ開催され、格的なドストエフスキー読も久々に刊行された。なぜ今、これだけの関心を集めているのか。 書店に設けられた新訳『カラマーゾフの兄弟』のコーナー=東京都内の丸善・丸の内店で 「カラマーゾフの兄弟」を語る亀山郁夫氏(左)と島田雅彦氏=東京・六木で、蛭田真平撮影 亀山訳は「流れと勢い」重視 東京の丸善・丸の内店では売れ筋の文庫10作を飾る「ミュージアムゾーン」に、渡辺淳一、横山秀夫、桐野夏生氏らの現代小説と並べて『カラマーゾフの兄弟』を展示している。「古典がこのコーナーに来たのは例がない」そうで、若者からお年寄り

  • 2007-02-04

    このところ、大臣の「問題発言」をめぐって、組合ルートで毎日のようにメールが入ってくる。 「失言でした、ごめんなさい」ではすまない、ことばの重みを、大臣はひしひしと感じているだろう。 この件については、出産経験のない40代女性として、「そっとしておいてほしい」というのが正直なところ。 自分の親を筆頭に、世間様に対しては、なんとなく後ろめたいような気持ちがしている。 だから、「辞任を要求する」という強い調子のメールを読んでも、 「あの発言のどこが悪い」と開き直る強気な男性評論家のコメントを聞いても、 どちらに対してもびびってしまうというか、嵐が過ぎ去るのをじっと待ちたい、というような気分。 ことばというのは常に、ある状況、文脈の中で発せられるものだから、 今回の大臣の発言だって、時と場合が違っていれば、こんなに大騒ぎにはならなかったはずだ。 それで思い出したのが、妹が癌で闘病中に、看護婦さんか

    2007-02-04
  • カラマーゾフの兄弟

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  • http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/kids/images/kara-soukanzu.gif

  • [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳): 極東ブログ

    爽快に読める亀山郁夫新訳が全巻揃うまで読書開始は待とうと思っていたが、最終巻を期待していた春頃、なかなか出ないので、よもやまたかという懸念があったが、7月に5巻で完結した。訳者の苦労に感謝したい。そして50歳になってこのが読めたことを深く自分の人生の喜びとしたい。 大げさな言い方だと自嘲もするし、私など些細な存在だが、この書籍に呪われたような人生だった。私はある意味では早熟でクラソートキンの歳でこの作品に挑んだ。旺文社文庫箕浦達二訳で読み始めたのだった。ロシア語はわからないが(それでも大学で学んだっけと思い出す)良い訳だった。が、二巻までしか出版されなかった。その後旺文社文庫自体が消えた。魯迅もプラトンも鴎外も漱石も私は旺文社文庫で読み、学んだ。 いつの日か箕浦訳が出ると確信していて3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎた。アリョーシャの歳にもなった。そしてその歳も過ぎた。しかたなく継ぎ接

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