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療育に関するasd-granmaのブックマーク (9)

  • 育ちに偏りがある孫『Tくん』 - asd-granmaのブログ

    彼はこの春中学校を卒業します。私は自分の年齢を考慮し彼が中学生になった時、彼等から離れ独り暮らしを始めたのです。 私から見ていると悪げのない幼い自分中心のどうしようもない少年に思えます。ずうっと通常級に在籍し、グレーゾーンの子どもとして育てられました。家族が望んでも特別支援教育は知能的に難しかったわけです。 幼児期から専門医に診断されておりましたし、家族としては気にかけ躾けようとしたわけです。薬も処方された時もあって少しは軌道に載るかと思ったのですが継続できなっかったのです。関わりの仕方にももっと工夫があったのかもしれません。課題に沿って地道に学習ができないのです。 義務教育の中でさえこのような状態であったわけですから高校に行ってどうなるか推して知るべしと思うのは私の取り越し苦労でしょうか。これから仕事で使う知識を意欲をもって習得していってくれたらと願うばかりです。 改めて『無料ゲー社会』

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  • 思い その9 - asd-granmaのブログ

    最近分かったのですが、自分の書いたものが意外に遠くの方まで読んでおられると知って驚いたことです。それと子供に育ちや興味の持ち方に偏りがあって苦心しておられる方が意外におられることです。 私はもう80歳を幾つか超えたのですが、まだこの課題の中で生活しているように感じています。それは50年前の子育てから始まりました。子供ははっきりした症状がありましたから分かりやすかったのです。言語の能力が著しく育ちにくかったのです。しかし一見賢そうにみえるこのような子供の理解に苦心しました。 この不思議ちゃんを分かるのは大変なことでした。こんなにも学びと試行錯誤と工夫を求められるとは思いもよらなかったことでした。しかも、一人ひとり欠損している事柄は全く異なるようなのです。 言葉が遅かったのは下の子なのですが、上の子もまた違った偏りを持って成人しました。育てる大人が子供の実際の姿を見極めることはとても難しいこと

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  • かなしろにゃんこ。さんの本を読んで - asd-granmaのブログ

    との出会いは相談仕事をしている娘から貸してもらったのがきっかけでした。 おお、これは分かりやすいし、現実的だと感じました。 bookclub.kodansha.co.jp bookclub.kodansha.co.jp にゃんこ。さんの元気と判断力はどこから出てきているんだろう。私の周りではこんなには元気がない親が多いです。今、この子のために親として理解しておくべき事柄として分かっておこう、そうした心構えになれない親が多い印象があります。 にゃんこ。さんのツッコミの塩梅、とてもいいと思います。心づかいをすごく感じられます。このような抱え込み方、責任の在り方はどうしてもこのような子たちに必要でしょう。 子どもが何を望んでいるのか、何をしたくないのか、何ができないのか、何が嫌と感じるのか-それがその子です。それを踏まえた上で将来を考えなければならないでしょう。 大人の方もそのままの在り様で

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  • 思い その2 - asd-granmaのブログ

    先日55年程前出会いのあった教え子と、55年ぶりに電話で会話する機会がありました。 彼は国立大の法学部をでて民間のIT企業で2年程働き、Uターンして地方都市の公務員になった方です。かなりの覚悟があってご自分の足場をつくってこられたように感じました。ずっと長い間生活に困難な人々の支援にあたって来たようなのです。 困難な問題の渦中にある人々が法の知識不足のために受けられるサービスの機会を逃しているのを助けてきたと話していました。部署は教育委員会から家裁まで関係していて、最近は退職後何年か離婚の調停員をしていたようです。援助してくださる方との出会いも大切ですが、受け手の方の性格や能力も大事であると強く感じました。そして受け手の格差が多く関係しているようです。 わたしの長女もひとり親で、将来を危ぶんでいる中学生の男の子がいます。感覚過敏と集中力に問題があるようです。 母親としては状態に充分困ってい

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  • 強く思うこと その4 - asd-granmaのブログ

    梅永雄二氏のライフスキルトレーニングのを読んで考え返してみたのですが、結局今の日でのライフスキルトレーニングとは家族の中でしかできなことを、家族の力でトレーニングをすることになってしまっています。親の覚悟の上に成り立つことです。悩んでしまいました。副題に「15歳までに始めたい」とあります。言葉と同じように身につくべき時期(つまり臨界期)があるのでしょう。 bookclub.kodansha.co.jp 自分も過去に4歳まで音声言語を話さなかったのような幼児を育てた経験があるので、身に着けてもらうためにする困難さを想像してしまいます。家族や親に相当の人間力が要求されます。繰り替えし理解しやすい手段の提示が必要です。でも偏った子の方にもそれを受け止め、試してみるための心的エネルギーが必要なことを忘れてはいけないのです。 そして何よりも家族という安定した場があることだと思います。安定した場、

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  • 特別展「あるがままのアート展」 -人知れず表現し続ける者たち- - asd-granmaのブログ

    8月23日の「日曜美術館」を見て心動かされ28日、物を観に行きました。 圧巻、驚嘆。の連続でした。 www.nhk.jp www.nhk.or.jp 人はみな、発達の過程で順次同質の表現をしますが、それぞれ人によって時期と期間が異なります。しかし、あれ程強烈に拘って長時間作品作りをするものだということです。 緻密、繰り返し。 ひとつひとつ全く異なった状況から生み出された感情と感覚を強烈に投げかけてきます。 感覚の鋭さと時間や対人関係の様相が伝わってきます。 あれを育て、支え、大切に保存し、展示にまで至った道程を想像しました。支えている方々の立場, ことに家族に思いをはせていました。 平常心を超えた、忍耐と寛容、理解、愛おしむ心。私が持っていないものです。

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  • 強く思うこと その2 - asd-granmaのブログ

    岡田尊司氏や熊代亨氏が言っているように日では生きにくい若者が増えているように思います。青年期をどうしたら居場所が見つけられるのだろうと自問している人は多いと感じています。 岡田尊司氏が何度も書いているように能力にばらつきのある子どもたちの教育の枠はこのままでは済まされないと感じる人は多いと思います。今ある枠に入りきれない、馴染まない若い人への援助をしている方のご意見をぜひお聞きしたいです。成功の鍵があったら困難であってもぜひお聞きしたいものです。 もちろん援助される方の違いや、する方の立場は千差万別だとは思いますが、迷っている人、真剣に情報を求めている人はおります。彼らが持っている資質やエネルギーを発揮してもらいたいし、教育や福祉の制度の狭間に陥ってしまうのは惜しいです。理解するのは難しく、周囲の人間は対応に苦慮しています。 ある立場の方からすれば、このようなことはあまり重視したくないこ

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  • 強く思うこと - asd-granmaのブログ

    これまで私は、生きにくい子どもを育てている家族を身近に幾人も見てきました。義務教育は知能指数で学級分けをしている部分があります。学校生活の中でさえも不安を抱えていたり、新しいプログラムになじめなかったりするのは見過ごされがちです。 家庭でしつけが困難を極めていてもなかなか学校には伝わりません。小学校では一人の教師が長い時間接してもらって少しずつ理解されることは多いようです。しかし、ことに小学校から中学生になっていくあたりから少しずつ発達面の差が表面化します。 生活する中で獲得してほしい能力においても平均的には身に着けられません。結果として熊代亨氏が書いているような「まともな人間の条件」からだんだん離れていきます。 大抵乳幼児期から育てるのが難しいと感じています。我が家の男の子の場合感覚が非常に過敏で、襟のあるコートは四歳ぐらいまで着ることができなかったのです。 .. 下着はだぶだぶの物を好

    強く思うこと - asd-granmaのブログ
    asd-granma
    asd-granma 2020/08/16
    新しい記事を書きました。よろしくお願いいたします。
  • 育児への疑問について - asd-granmaのブログ

    出会った人々に質問されたことに、二人の娘たちに高学歴を修めさせるためにした療育や育児はどんなだったか、というのがあります。私の場合、只ただ足元をみて自分なりに工夫してやってきただけです。 前にも書きましたが自分が若かった時期、社会のルールや仕組みと自分の内面とを折り合う力がなかったのです。内面的には自己を女性としての枠や嗜みに合わせられませんでした。10代は文学書や聖書を20代後半は臨床心理の症例やドキュメントを読んでいました。周囲に求めても求め得られないものを無意識に求めさまよっていました。 そんなでしたので娘たちが独り立ちできる力をつけてほしいと強く願った訳です。自分の中にある偏りや失敗した経験から、同じようなことが起こるのを防ごうとしていました。言ってみれば、定型発達でなっかたがためにかえって理解しよう、何とかしようと強く思いました。 ですから子どもの出来ること、出来ないことを見極め

    育児への疑問について - asd-granmaのブログ
    asd-granma
    asd-granma 2020/08/13
    はてなブログに投稿しました #はてなブログ 育児への疑問について - asd-granmaのブログ https://asd-granma.hatenablog.com/entry/2020/08/13/130608
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