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吉田匠に関するasdbjpのブックマーク (13)

  • FIAT 600D ABARTH が、わが家にやってきた!

    久しぶりの更新になりますが、1962年ポルシェ356B 1600スーパーと、2010年ミニクーパー クラブマンから成るわが家のラインナップに、最近、新しい一台が加わりました。 それが写真のクルマ、1965年フィアット600Dアバルト! 来なら767ccで25psのOHV4気筒が積まれているリアに、アウトビアンキA112アバルトの1050cc 70psユニットを収めたもので、イタリアではもともと、これとは別のハイチューンなレーシングエンジンを積んでレースに使われていた、といわれるクルマです。 そのため、写真からも分かるようにサスペンションはかなり低くセットされていて、乗り心地も僕の好みからすると正直、硬すぎでありますね。 僕がこれを手に入れた主な理由は、これまでのポルシェ356Bに代わってヒストリックカーのラリーやヒルクライムに出撃するための、小さくて元気のいいリアエンジンを探していたこと

    FIAT 600D ABARTH が、わが家にやってきた!
  • はじめまして! まずは2台のスポーツカーをご紹介。

    はじめまして。モータージャーナリスト、またの名を“スポーツカー親爺”の吉田 匠です。 みんカラブログへの登場は初めてなので、どうぞよろしくお願いします。 ここにはまず、現在の僕の愛車3台のなかの2台の、ちょっと旧いスポーツカーを紹介しておきましょう。 わが家のガレージで、向かって左に収まっている赤いのが1970年アルファ・ロメオ ジュニアZ、向かって右のグリーンのが1991年ポルシェ911カレラ2、通称ポルシェ964C2であります。この他に、普段の足に乗っている2005年VWゴルフGLiがあって、僕のクルマフリートは完結する、というわけです。 この2台については、後日、もっと詳しく書き綴る予定なので、興味のある方は乞うご期待! というところで、東京都世田谷区三軒茶屋にある事務所から、まずは軽~い第一報でした。

    はじめまして! まずは2台のスポーツカーをご紹介。
  • GW最終日はロードバイクに乗って。

    GW最終日の今日は実にいい天気、日差しは強いけれど湿度はほとんど感じられなくて、乗り物好きだったら色々なものに乗りたくなってしまいますよね。 そこで僕も、まずはシグナルグリーンの964C2GTのコクピットに収まって、東名、16号、横横、横浜首都高、最後は第三京浜で東京に戻るという横浜外周周回コースを軽く流し、ここ2~3日ポルシェに乗っていなかった欲求不満を解消してきました。 それに続いて乗ったのは自転車、つまりロードバイクでした。上の写真で964C2GTとゴルフGLiの間にあるのがそれ、キャノンデールSIX13=シックス・サーティーンというバイクで、トゥール・ド・フランスやジロ・ディ・イタリアといったロードレースを走っているレーシングバイクと基的な要素は変わらない、ロードレーサーの市販モデルというわけです。 キャノンデールはアメリカのハイテク系スポーツバイクブランドで、このSIX13は2

    GW最終日はロードバイクに乗って。
  • ルノー・トゥインゴ、続編。

    トゥインゴが意外なメッケモンでありますと書いたら、質問まじりのコメントをいただいたので、どうせならそれへのお答えを兼ねて、続編をアップしてしまおうと・・・。 ちなみに写真はトゥインゴのなかなか個性的なコクピット。フロアのレバーが2ペダルMT、クイックシフトのシフターでありますね。 ではコメントへのお答えといきましょう。 > 先代のトゥインゴ愛車として一年程乗っていました。 という、フィオ派のポルコさん。 そう、初代のトゥインゴはたしかに現行モデルより、視覚的な魅力が分かりやすかったですよね、あの可愛らしいスタイリングですから。 ただ、クルマの走りも室内の使い勝手も、現行モデルは初代に負けていないと思いますね、ずっと後に出ているのですから、当然といえば当然ですが。 > 自動車評論家の方々は、ドイツ車を始めとしてヨーロッパ車を褒めてみえる事が多い様に思いますが、車の信頼性については殆ど触れて見

    ルノー・トゥインゴ、続編。
  • 絶好調のミニ・ワンについて。

    僕が足にしている2008年型の黒いミニ・ワンについて、久しぶりに書いてみようと思います。 下の写真にあるように、現在のオドメーターは1万3000㎞強というところですが、去年3月に入手したときは走行1900㎞だったので、1年2ヶ月でやっと1万1000㎞強を走行したというわけで、あまり距離は進んでいませんね。 ま、家から事務所までの通勤距離が往復4㎞弱という短さなので、それも仕方ないとは思いますが。 さてその1年2ヶ月と1万1000㎞のあいだ、わがミニ・ワンはすこぶる快調に走り続け、現代の量産車としては当然のことですが、シリアスなトラブルに見舞われたことは一度もありません。 唯一の例外は、走行1万㎞を超えた頃でしょうか、メーター内のワーニングランプがひとつ点灯したことで、ディーラーのサービス工場で調べてもらったら、O2=オーツーセンサーが故障しているとのことでした。 しかもO2センサーの部品が

    絶好調のミニ・ワンについて。
  • スプライトにもグッバイを言った! (また涙)

    一昨日、大安吉日の25日のことですが、親爺、年甲斐もなくけっこう寂しい気持ちを味わいました。 いやね、オースティン・ヒーリー・スプライト・マークⅡが我が家を去って行ったんですな、新しいオーナーのドライビングで。 ポルシェ356Bを買いましたと報告したブログの隅に、となると60年代のクルマを2台持ち切れなくなるためスプライトを手離そうと思うので、もしも興味のある方がいたら軽い気持ちでブログにメッセージを下さいと書いたら、結局3人のブログ読者の方からメッセージをいただきました。 で、そのなかで飛び切り早く連絡をくれた人、仮称「Y@軽井沢」さんが数日後に事務所に現車を見に来て一発でお気に入りの様子、ぜひ譲ってくださいということになったのでした。 写真は、ステアリングホイールをもともと着いてきたレスレストンのリプロ品に戻し、助手席の足元に交換したパーツや諸々の備品などを収めて、新オーナーが引き取り

    スプライトにもグッバイを言った! (また涙)
  • スポーツカー親爺、ついに「先祖帰り」。

    ほんの少し前、僕の別ブログ『TAKUMI YOSHIDA.log』にアップしたんですが、つい最近、2年9カ月乗ったシグナルグリーンの1991年ポルシェ964カレラ2、通称964C2GT、別名ケロヨン号を手放しました。 泣く泣くそうした理由は、別のクルマを手に入れるため、より正確にいえば、別のポルシェを手に入れるためでした。 もっと正確に表現すると、ポルシェの「先祖帰り」を果たすため、ということになります。 そうして先祖帰りしたアイテムがこれ、1962年ポルシェ356Bスーパーでありまして、1948年のグミュントクーペに始まって、356、プリA、356A、356B、356Cと続く356シリーズの、かなり後半のモデルということになります。 1962年型ということは1991年の964C2からおよそ30年戻る先祖帰りになるわけですが、ボディカラー名はシグナルレッドと、奇しくも同じシグナルのグリーン

    スポーツカー親爺、ついに「先祖帰り」。
  • 964の幅の狭いこと!

    書こう書こうと思っていて手がつけられないまま1週間経っちゃいましたが、先週の後半、熱血ポルシェ専門誌『911DAYS』の仕事で、997前期型のカレラとカレラ4Sに箱根で乗りました。 そのとき、久しぶりにウチの1991年964C2GT、別名ケロヨン号に乗っていったので、何となく並べてみたんですな、白い997C、およびダークなグリーンの997C4Sと。 そうしたら、この幅の違い! カメラのレンズがワイドなので、左右のクルマの幅広さが強調されているのはたしかなんですが、それにしても964のボディ、幅が狭いですよね。 それぞれの全幅は、997Cが1810㎜、997C4Sが1850㎜、それに対してわが964C2はたった1650㎜しかないのでありますよ。 ちなみに僕が前に乗っていたナロー中のナロー、1965年911の全幅は1610㎜ですから、それと比べれば964、リアにオーバーフェンダーが与えられた分

    964の幅の狭いこと!
  • 356B S75GTは、今どうなっているのか?

    赤い356Bがブログに登場しなくなってしばらく経つけれど、どうしちゃったんですか、というお尋ねのコメントは特に来ていないけれど、久しぶりに1962年ポルシェ356B 1600Sの現況をお伝えしましょう。 S75GTへの発展途上にあるウチの356Bは今、川崎市にあるペイントショップに入っています。 トップのカットは工場入りする数日前に撮ったもので、写真で見る限り再塗装が必要とは思えないでしょうけれど、前回の塗装から相当の年月が経っているはずのペイントは表面のお肌が相当に荒れていて、去年こいつを購入した時点で再塗装を覚悟のクルマだったのでありますね、実は。 で、件のペイントショップ「アイム」に356Bを持ち込んだのがこの写真で、5月上旬のことでした。 ちなみにここは、某輸入車ディーラー指定の板金塗装工場になっていて、アストンマーティンやジャガーが数多く入庫しています。 それから1週間後にアイム

    356B S75GTは、今どうなっているのか?
  • わがポルシェ356B、久しぶりの近況報告。

    僕の1962年ポルシェ356B1600スーパー、近頃当ブログに登場していませんでしたが、実は6月の初旬から、左の囲み写真のような状態になっています。 そう、バンパーを外したわけでして、そうしたら356Bのフロント、ノーズ先端がコロンと丸くて、1960年頃のアバルトのレコルドモンザみたいな雰囲気に変わったのでした! それ以前はこの写真のように、オーバーライダーを外したバンパーに一対のマルシャルのフォグランプを装着して、60年代前半の正調ラリー356Bのようなスタイルを見せていたというわけです。 実をいうと僕は、このオーバーライダーレスのバンパー付きスタイルも大いに気に入っているので、後に確実にこのスタイルに戻せる算段をした上で、バンパーを外すことにしたのであります。 バンパーを外した理由のひとつは、今年も参加予定のACCR=アルペン クラシックカー ラリーのPクラスで、バンパーの除去が許され

    わがポルシェ356B、久しぶりの近況報告。
  • 久しぶりにクラブマン・クーパーの話でも。

    相手は自然現象なので仕方ないと分かってはいるんだけど、こうも余震が続くと、いいかげんに日列島を痛めつけるのはヤメロ!、と怒りが込み上げてきたりしませんか。 ところで今日は久しぶりに黒いクラブマン・クーパーの話をしようと思いますが、それまで乗っていたハッチバックのミニ・ワンに替わる僕のファーストカーとしてクラブマンのクーパーがやってきたのは、去年の暮れも押し迫った頃のことでした。 で、それから現在までに3カ月半が経ちましたが、わがクラブマン・クーパーのオドメーターはまだたった1600km強と、呆れるほど距離が進んでいません。 大震災に少なからぬ影響をうけたこともあって、最近は他の交通手段で済むところにはなるべくクルマに乗っていかないといった、スポーツカー親爺らしからぬことを珍しく実践しているという事情も、距離の進まない理由のひとつかも知れません。 けれど、それほど乗ってないということはあま

    久しぶりにクラブマン・クーパーの話でも。
  • わたしの自動車史(前編) ― 吉田 匠 ―

    吉田 匠(プロフィール) 1947年、埼玉県生まれ。1971年に二玄社に入社し『CAR GRAPHIC』編集部に在籍。同社での編集経験を経て1985年にフリーランスのジャーナリストとして独立した。特に輸入車、スポーツカーに深い造詣を持ち、今日でも自動車専門誌を中心に精力的に執筆活動を続けている。360cc時代の軽自動車の傑作であるホンダN360。吉田家が選択したオプションは、3点式シートベルトとリクライニングシートだった。日産チェリーGL。チェリーは日産にとって初のFF車だった。コンパクトなハッチバックボディーが特徴のホンダ・シビック。GLは1972年に登場した上級グレードである。ホンダS800M。写真は実際に僕が乗っていたS800Mそのものの現在の姿で、純正ハードトップをはじめとするスタイルは、ホイールなどの細部を除いて、当時と基的に変わっていない。 団塊世代のなかでも最も人口の多い1

    わたしの自動車史(前編) ― 吉田 匠 ―
  • Honda|今まで販売したクルマ|S2000

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