暴力革命路線を信奉・実行していた極左的な人々は、日本共産党のテロ行為が世論の反発を食らって、全候補落選という結果を受けた指導部が1955年の日本共産党第6回全国協議会で武装闘争路線を自己批判・転換したことへの不信・不満を募らせた。方針転換した日本共産党の支持から離脱したことで、日本で日本共産党の旧来の暴力革命路線を継続する「新左翼」と呼ばれるグループが誕生した。過激派・極左暴力集団とも呼ばれるようになる彼らは日本共産党の暴力革命唯一論・武装闘争路線転換を批判し、継続実行した。1955年以前に掲げていた暴力革命路線と反代々木(反日本共産党)を旗印にする「日本の新左翼」を誕生させた日本共産党は、51年綱領時代の混乱や武装闘争路線は「一部の指導層の独断によって行われたものであり、党中央組織とは関係がない」と主張している[2]。 1960年の安保闘争、1968年 - 1970年の全共闘運動・大学紛