内田樹に関するasyuuのブックマーク (6)

  • 妥協と共生 - 内田樹の研究室

    Frauという雑誌の取材がある。 20-30代の働く独身女性が読者層のヴォリューム・ゾーンであるような雑誌で、今回のお題は「結婚したいけれど、できないのはどうして・・・」という切実なるものである。 どうしてと訊かれて即答できるなら、苦労はない。 というのはシロートで、私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目を頂いている身であるから、もちろん即答する。 それはみなさんがたが「他者との共生」を「他者への妥協」というふうに読み替えておられるからである。 「共生」と「妥協」は見た目は似ているかもしれないが、まるで別のことである。 これは武道をやっていると実感的によくわかる。 「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。 そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。 私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦め

  • モラルハザードの構造 - 内田樹の研究室

    興味深い記事を見た。 NHK 記者ら三人がインサイダー情報による株取引容疑で取り調べを受けているという話である。 この三人は報道局のテレビニュース制作部記者、岐阜放送局の記者、水戸放送局のディレクター。三人の間に連絡を取り合った形跡はない。 それはつまりこのインサイダー取引が「自然発生的・同時多発的」に NHK 内で行われたということである。 ということは、「このようなこと」が当該組織内ではごく日常的に行われていた蓋然性が高い。 不正利用されたのはある牛丼チェーンが回転ずしチェーンを合併するというもの。 3人はニュースの放送前にこれを知り、うち2人は「放送までの22分の間に専用端末で原稿を読み」回転ずしチェーンの株を購入。株価は一日で1720円から1774円に上がり、3人は翌日売り抜けて10-40万円の利益を得ていた。 この金額の「少なさ」が私にはこの不祥事の「日常性」をむしろ雄弁に物語っ

  • 『卒都婆小町』の分析的効果 - 内田樹の研究室

    湊川神社に神戸観世会の別会に出かける。 下川先生が『卒都婆小町』を披かれるのである。 『卒都婆小町』というのは100歳の乞女になった老残の小野小町が旅の僧を相手に才知の片鱗を見せるのだが、そこに小町に焦がれ死にした深草少将の霊が憑依して、なんだかすごいことになってしまう・・・という話である。 小町に少将が憑依する瞬間が実に劇的である。 地謡の「今は路頭にさそらひ。往来の人に物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は悪心、また狂乱の心つきて。聲変わりけしからず」を請けて、それまで深く沈んだほとんど思索的だった老女の声だったのが、いきなり「なま」な欲望剥き出しの声に変わる。 「なう物賜べなうお僧なう」(ねえ、なんかちょうだいよ、お坊さん)。 まず欲を示したのち、「小町が許へ通はうよなう」と次は性欲が剥き出しにされる。 静から動へのこの落差が能の序破急のかんどころである。 下川先生の「なう」では見所全体が「びく

  • リベラシオンの安倍晋三評価 - 内田樹の研究室

    今度の選挙は自民党大敗という予想のようである。 私もそうなるだろうと思う。 もう安倍晋三の顔は見飽きた、というのが国民多数の実感であろう。 安倍首相の失点は年金とか事務所費とか内政の不手際ばかり責められるが、無能力が露呈したのはむしろ外交の方である。 就任後にアメリカ訪問してブッシュ大統領と会ったけれど、そのエネルギーのほとんどは自分が火を点けた従軍慰安婦問題の「火消し」に費やされた。 でも、下院外交委員会でホンダ議員の従軍慰安婦問題についての日政府の謝罪要求決議は首相訪米直後に通ってしまったから、首相の訪米成果はほとんどゼロだったことになる。 アジア外交についても評価は高くない。 この件についての『リベラシオン』の記事はこんなふうに始まっている。 「日の安倍晋三首相は彼の前任者である小泉純一郎(彼は五年にわたって中国にとって『好ましからざる人物』(persona non grata)

    asyuu
    asyuu 2007/07/16
    内田先生特有の、書き下ろし・阿倍首相分析ですね。
  • 「株式会社という病」を読む - 内田樹の研究室

    平川くんの『株式会社という病』(NTT出版)のゲラが届いたので、東京へ向かう新幹線の車中で読み始める。 平川くんはブログ日記で、このを書くのにずいぶん苦労したと書いていた。 彼が「苦労する」というのはどういうことだろう。 言いたいことをはやばやと書ききってしまったので、残りの紙数を埋めるのに苦労するということは学生のレポートのような場合にはよくあることである。 だが、平川くんのような書き手の場合に「書くネタが尽きる」ということはありえない。 ということは、彼がこので「手馴れた道具」では論じることの困難な種類の主題を扱っているということである。 平川くんをして困惑せしめる主題とは何であろう。 一読して、その困惑が少しだけわかったような気がしたので、そのことについて書きたい。 彼は久が原の町工場の長男として育った。 その少年時代の親たちの働きぶりや、彼のまわりにいた工員たちの姿を活写すると

    asyuu
    asyuu 2007/04/30
    論理的だがなにか哀切にあふれた文章。
  • クールなメディア - 内田樹の研究室

    カウンターを見るともうすぐ899万である。 今日明日中には900万に到達するであろう。 となると、次は1000万である。 だいたい一日1万アクセスであるから、100日後、6月くらいには大台に乗る計算になる。 1000万アクセスという累計もびっくりだが、一日1万という数にもよくよく考えるとびっくりである。 一日1万ということは一月30万。 月刊誌で30万部売れているものはごくわずかしかない。 文芸誌なんて月刊5000部くらいである。 すごいね。 ただ、この30万は同一読者が繰り返しアクセスしているので、実数はずっと少ない。 それでも、同一読者が継続的に個人ブログに書かれているコメントを読み続けることは、読者の情報判断や使用語彙に微妙な影響を与えずにはおかないであろう。 学術雑誌については「インパクト・ファクター」というものが掲載された論文の被引用回数に基づいて算定される。 個人ブログでも世論

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