何でもかんでも計画を立てて、それを無理やりに実行実現する――それが計画マンである筆者のポリシーだ。だが初めて長期間の計画を立てたのは意外と遅く、33歳のころ。まずはその話を書かねばなるまい。 筆者は“計画マン”である。何でもかんでも計画を立てて、それを無理やりに実行実現するのだ。 大学3年のころ、オーストラリアへ留学することが最初だった。オーストラリアでの身元保証人探しから始まり、大阪の船会社を走りまわって、オーストラリアまでの巨大な石炭船にタダ乗りさせてもらったのも計画の実現だった。1969年の大学紛争は計画外だが、だいたい予定通りの留学経験だった。 大学の同級生と結婚することになったのは、故意(恋?)の偶然でこれは計画ではないが、結婚後に3人の息子たちを持ったのは計画の内だった(本当は5人ほど子どもが欲しいという計画だったが、さすがこちらの体力と気力が計画について行かなくなったので、6
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