先日、僕は「山月記」は「働かざるもの食うべからず」というような俗人道徳を夢にも疑わないような俗人向けの作品であると書いた。 そして、このような作品は、李徴のような傾向のある人間を無条件的に排除することの肯定につながるもので、これからの学校教育で取り上げる事は不適切であると批判した。 globalizer-ja.hatenablog.com しかしある意味、このような指摘は全くの見当違いであると言うこともできる。 なぜなら「山月記」は、ある意味、中島敦が自分を批判した作品であるからだ。 「山月記」が発表された10か月後、中島敦は気管支喘息のためになくなっている。 中島敦が「山月記」を執筆中に、ある程度死を覚悟していたことは間違いない。 「山月記」には 他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇、もとより、まだ世