新年あけました。めでたい人もめでたくない人も、今年も一年よろしくお願いいたします。 さて、新年早々はてなでは、「ネットは昔と比べ寛容性がなくなり、窮屈になってきているんじゃないか」という議論が話題を集めているようです。 最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠 インターネットの空き地 ネットが窮屈に感じる原因はfacebookルールと拝金主義 - かくいう私も青二才でね で、はてブも含めて議論の大勢は、「確かにネットが大衆化するにつれて、尖った発言や、社会では受け入れられにくい発言って、すぐに炎上したりして、しにくくなったよね。それってしょうがないことかもしれないけど、なんかつまらないよね」という流れになっているようです。 でも、僕は思うのです。 「これって自分にとってはむちゃくちゃ違
最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 私も、似たことを数年来感じていた。ブログは窮屈になった。他のインターネットも多かれ少なかれ窮屈になってきているような気がする。例えばtwitterも。ネット炎上は一時期ほどではないが、それをもって「窮屈が緩和された」とは思えない。むしろ注意深さが普及した効果なのかな、と思う。 「なぜネットが窮屈になったのか」は、色々なアングルで捉えられるし、そもそも多因子の帰結としてそうなったのだろう。ここでは、「ネットメディアが“コミケ”の論理から“テレビ”の論理に傾いたから」について、まとまりなく書き散らしてみる。 「書き手中心のメディア」から「読み専中心のメディア」へ 00年代初頭のインターネット、それこそ月間PVが200以下の“○○のホームページ”時代のインターネットは、概ね「オーディエンスはみんな書き手」だった。個
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