鹿屋進出、薄暮攻撃後に事故 芙蓉部隊の主力機として夜間攻撃に威力を発揮した「彗星」[坪井さん提供]【時事通信】 《芙蓉部隊の最年少パイロットとして沖縄戦に参加した元海軍飛行兵長、坪井晴隆さんの回想に戻ろう。》 1945(昭和20)年3月末、芙蓉部隊の主力は鹿児島県の鹿屋基地進出が決まり、最年少の私もその一員に選ばれました。うれしかったですねえ。彗星を乗りこなせる者だけです。戦闘812飛行隊長の徳倉大尉から「おい坪井、お前も連れて行くから、すぐ用意しろ」と言われた時は、「わっ、やった!」と思いました。身震いしたですよ。 普段は私をあごで使っていた先輩たちが、私の機の風防を磨きながら「頑張ってこいよ」とか言うわけです。誇らしかったですよ。嫌とかいう気持ちなんかありません。とうとう母がいる九州にまで敵が迫ってきた。俺たちがやらんと国は守れんと思ってましたから。ただ、藤枝での訓練は2カ月足らずでし