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2021年8月15日のブックマーク (2件)

  • 「特攻拒否」貫いた芙蓉部隊(下):時事ドットコム

    鹿屋進出、薄暮攻撃後に事故 芙蓉部隊の主力機として夜間攻撃に威力を発揮した「彗星」[坪井さん提供]【時事通信】 《芙蓉部隊の最年少パイロットとして沖縄戦に参加した元海軍飛行兵長、坪井晴隆さんの回想に戻ろう。》 1945(昭和20)年3月末、芙蓉部隊の主力は鹿児島県の鹿屋基地進出が決まり、最年少の私もその一員に選ばれました。うれしかったですねえ。彗星を乗りこなせる者だけです。戦闘812飛行隊長の徳倉大尉から「おい坪井、お前も連れて行くから、すぐ用意しろ」と言われた時は、「わっ、やった!」と思いました。身震いしたですよ。 普段は私をあごで使っていた先輩たちが、私の機の風防を磨きながら「頑張ってこいよ」とか言うわけです。誇らしかったですよ。嫌とかいう気持ちなんかありません。とうとう母がいる九州にまで敵が迫ってきた。俺たちがやらんと国は守れんと思ってましたから。ただ、藤枝での訓練は2カ月足らずでし

    「特攻拒否」貫いた芙蓉部隊(下):時事ドットコム
  • 「特攻拒否」貫いた芙蓉部隊(上):時事ドットコム

    元飛行兵長の回想 芙蓉部隊に配備された艦上爆撃機「彗星」[部隊史「芙蓉部隊戦いの譜」より]【時事通信】 敗色が濃厚となった太平洋戦争末期、海軍上層部が推し進める無謀な体当たり攻撃「特攻」を公然と拒み、ただ一つ、終戦まで通常戦法を貫いた航空部隊があった。夜間攻撃を専門とする「芙蓉(ふよう)部隊」だ。整備員らを含め総勢1000人もの隊員を統率したのは、美濃部正という29歳の少佐だった。(2015年8月26日掲載) 死を回避するかのような言動を異端視し、「1億玉砕」「1億総特攻」といった空虚で無責任な精神論が幅を利かせていた当時の日。正攻法で戦う信念を曲げず、科学的思考と創意工夫で限界に挑んだ軍人がいたことは、まさに奇跡と言うほかない。 芙蓉部隊は、海軍の戦闘804、812、901の3飛行隊によって1945(昭和20)年1月に静岡県藤枝基地で再編成された夜間戦闘機(夜戦)部隊を総称したもので、

    「特攻拒否」貫いた芙蓉部隊(上):時事ドットコム