昨今、「“リベラル”はレイシズムに対しても寛容であるべきだ」という言説をしばしば見聞します。 “リベラル”とはいったい何か、についてはいろいろな議論があるでしょうが、ここではとりあえず「自由主義者」と訳すとして、「自由主義」という言葉の語感からすると、そのような言説は一見正論のように思えるかもしれません。しかし、どうも私には、そのような言説は「自由主義」という言葉を表面的にしか捉えていない、別の言い方をすれば「自由主義」の趣旨を理解していない、誤ったものであるように思えてならないのです。 どうやら世間一般では、「“リベラル”(自由主義)とは『寛容』を意味する」と考えられているようです。私は別にそれを否定するつもりはありません。ですが、そこで考えることをやめてしまうのではなく、なぜ“リベラル”とは「寛容の精神」をその趣旨とするものと考えられているのか、あるいは「自由主義」の目的はいったい何で