当時はコンピュータ=メインフレームですので、銀行のオンラインサービスとか国鉄の座席予約システムなどが花形とされていた時代なんですね。いわゆる“ミニコン”と呼ばれる装置でも部屋ひとつを占有するようなものだったわけです。そのうちにLSIが進化してワンチップのマイコンになって、NECもマイコンチップを製造し始めたわけです。 その当時は半導体集積回路部門だったのですが、なにしろメインフレームが中心ですのでコンピュータ自体の年間需要が1万台くらいしかない。そこにマイコン搭載の小さなものを作って売る、つまり需要そのものを作り出すことがひとつの命題だったわけです。ちなみに、当時ほかの会社でもマイコン開発に取り組んだのはコンピュータ部門ではなくデバイス部門だったようです。デバイス部門のほうが、今後どれだけ集積していくのかを知っていたわけですね。 ともあれマイコンチップの市場開発に「家庭用ミシン」や「家庭用
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