タグ

2006年12月4日のブックマーク (3件)

  • とあるブログの舞台裏 ネット上のチャンスは平等じゃない

    つまりコンテンツが製作者の能力ではなく河童頭女神の前髪を掴めたかで評価されてしまっている部分が少なからずある。読者に対してコンテンツの供給量が多すぎるのも理由の一つだが、ネットの構造がそうなっている部分も――変化の兆しがないではないが……。 トラフィックを生み出す各要素について、機会がどれだけ大きな役割を果たしているか私的判断で並べてみる(そのコンテンツに価値があることが大前提)。()で囲われているのは能動的側面が特に大きい方法。 ↑ |孫引きニュースサイト |一次ニュースサイト |はてなブックマーク |はてなサービス総体 |(ディレクトリ登録型サーチエンジン) |アクセス数型ランキング |ロボット型サーチエンジン |クリック型ランキング |(自己登録型サーチ) |(トラフィックエクスチェンジ) ↓ 思いつくかぎりでこんな感じか。 孫引きニュースサイトは複数の関門をくぐらなければ紹介されな

  • 『「権威に縋るな」という言説について』

    (2007年6月24日1時半ごろ追記ー「縋るな」は、「すがるな」と読む もし、あなたが、読みを探すためにこのエントリに辿り着いたとしても馬鹿にしようとは思わないのだけれど、ウェブ上に辞書は転がっているのだから、検索エンジンに漢字の読み方を聞くのではなく、ポータルサイトの辞書機能を使うべきだと思う) 相手が、大手だから(ブロゴスフィアで言えば、アルファーブロガー、大手ニュースサイトなど)といって、それにへーこらするのは下らない、という記事をどこかで読んだのだけれど 3つほど、感想を抱いた 一つ目 入り口としての、「大手」の存在は重要である、ということ 何の世界でもそうだが、「評価の高い存在」というものがある それは、人物であったり、ある人物の作り出したものだったり その世界を知らない人にとって、その世界を把握する課程に置いて、その「大手」の存在は、重要な羅針盤になりうるのではないか、というこ

  • ウェブサイト上の「善意」に関する雑感:ekken

    批判を回避するために「善意」を持ち出してはいけない 予想以上に拡がっている「善意の転載」問題(ekken♂ : 他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒くこと参照)ですが、チェーンテキストに対する嫌悪感を意思表示した記事に対し、「善意でやっていることを批判するなんて……」という主旨の言及がされました。 しかし「善意が動機の行動」は必ずしも正しい物ではありません。 「みんなの善意だから」「良かれと思ってやっていることなのに」は、それが正しい事ならともかく、間違いだった時に拡がる事を止め難くなるのです。 善意の行動が好ましい事ではないと指摘された時に持ち出される「善意だから批判するな」は、単なる批判回避です。「善意」を持ち出すことで、「私を批判しないで」という圧力をかけているのです。 善意を持ち出す多くの人には一片の悪意もないことと思いますが、そう思う人が多いことを利用すれば、悪意の隠れ蓑に