ブックマーク / mdenka.blog85.fc2.com (7)

  • 老いてもなお、一つの風景。 - 殿下執務室2.0 β1

    ◆消えかけの信号@増田 人生の結構長い割合をいわゆる「ニュータウン」と呼ばれる場所で過ごした身としては、なかなかしんみりとするエントリ。 それにしても、自分の親たちはなぜに子供がいずれ独立しても二世帯で住むとは期待していなかったのに、郊外に規格の大きな家を建ててしまうのだろうかなどと考えてしまうが、冷静に考えれば我々が子供の頃に例えば自分の部屋すらなければ、それは結構な苦い思い出として残るものであるだけに、やはりどうしても、例えば子供が2人いるような世帯ならば、4LDKとかそういう規格の家を建ててしまおうとして、そうなると郊外に建てるしか選択肢がないとか、色々あったのだろう。今はそういう「実家」に2週に一度程度帰る生活をしているのだけれど、ある意味そういう部分で子供としての負い目みたいなのを感じつつ、みたいなのはある。一方で、うちのマンションに対して「狭い」と文句を言う親に対しては、いやぁ

    azumy
    azumy 2008/02/20
    当時は何もないところに突然出現したニュータウンだとしても、その後に生まれた者にとってはもともとあった街と変わらない、という部分もある。今アメリカという国があることが当たり前であるかのように。
  • 聖徳太子の虚実と、書紀への誤解。 - 殿下執務室2.0 β1

    ◆週のはじめに考える 書き換わる聖徳太子像@東京新聞 聖徳太子ってのはある程度以上は伝説的なフィギュアではある。少なくとも、近現代においてこの人物の政治家としての評価は、恐らく史実と比べて過剰な方向に振れていたのではないかな、と思わされる部分は存在する。というか、恐らく書紀自体がそこまで聖徳太子を政治家として評価していない、とすら思われる。推古の摂政として推古紀の冒頭に記しているが、そもそも摂政自体がある種この当時は曖昧な役割な部分もあって。 その上で、書紀を虚心に読んだ上で多くの学者が疑問に思うような「聖徳太子の虚構性」が何らかの形で存在するという認識がある、みたいな意味では「非実在説」は定説化しているとは言えるのだが、聖徳太子と後に呼ばれる皇子がそれほど推古朝の上級社会で無意味な存在だったかというと、多分そうではなさげで、虚構性を強調するのはどうかな、とも。あと、非実在説的な文脈では書

    azumy
    azumy 2008/02/13
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  • めたぶろぐ2題。 - 殿下執務室2.0 β1

    ぶくまにはちと尺が足りないので。 ◆ある「ログ残し議論」に関する思い出@深く考えないで捨てるように書く まぁ仰るとおり、現在のインターネットにおいて「ログは残る」ものであり、自分の過去に書いたものは少なからぬ確率で見つけられるものなのだけれど、個人的にそういう世の中において、「個人の一貫性」を妙に要求されると息が詰まるな、みたいなことは思う。例えば、せいぜい5年前の発言でも、状況の変化や世界観の変化、或いは自分の成長や新たにインスパイヤされる人との出会い、みたいなのはあって、同じテーマでものを書かせても相当にアップデートされるのは当然であろうと思われる。ところが、第三者というのは身勝手なものである一方、HTMLのタイムスタンプはブラウザには表示されない訳で、5年前にかかれたことでも読み手からすれば昨日書かれたものとフラットな関係にある訳だ。個人的には、読み手にはその辺りの事情は察して欲しい

    azumy
    azumy 2007/10/14
    変化する自分と変化しない過去ログとの齟齬は、個人サイトやブログが広まってある程度年月がたって、やっと問題になってきた感があります。ブログは日付があるぶんまだしも分かりやすいかもしれない。
  • 世間はいずれは選ぶもの。 - 殿下執務室2.0 β1

    が臨月だ@増田 んー、叩きたくなる気持ちは分からなくはないけれども、叩く人の気がよく知れん。 というか、実は学齢をあがるに連れて、そして自分の責任で人間関係を構築できるようになるに連れて、基的に現代社会にて移動や職業選択その他もろもろについてある程度の自由を保障されている人間ってのは「類友」に近づくようになる。つまり「誰とでも仲良く」という幼稚園的な桎梏から解放される。勿論、それ自体にはある程度のスキルが必要で、高校くらいになってもある種のミスマッチの罠に嵌ると滝川ルネッサンスとか時津風部屋の類に堕ちる悲劇もあるのだけれど、要するに「お付き合いしない人たち」みたいなのを作る、ってのは普通にほとんどの人たちが最終的に辿り着く場所であるはず。そもそもこんな文章にぶくまするのなんて大概はいい大人だろうに、何てピュアな批判をしてるんだろう、みたいな第一印象があった。 一方で、当に子どもが小

    azumy
    azumy 2007/10/10
    肯ける。DQN名はDQN指標には全然ならないと実感してる。/モンスターペアレントは40人中の1人でも大変なことになるので、こればっかりは数では言えないけれど
  • 過干渉とか。 - 殿下執務室2.0 β1

    ◆おいお前ら、絶対過保護過干渉で子育てするなよ@アルファルファモザイク 基的に、このスレの中である意味興味深かったのは※欄の1039の発言。 つまり 「過保護や過干渉で子育てしたら、自分の失敗を全部親のせいにする人間に育つ」 という事じゃね? これ、一見子ども側を責めてるように見えるけれども、要するに言い換えれば「自分で自分の責任を取らないような育てられ方をされた」って意味で親の側に批判が返ってくるものなんだろうなぁと。詰まるところ、過干渉みたいなスタンスってのはそういう点では「子どもに『自分の責任で行動する』ことを教育する」という点ではマイナスなのは明らかなんではないだろうか、とも思われるし、そういう教育を受けた側にはやはりある程度は同情の余地は出てくるんだろう。 ところで、このスレの中で「過保護」はいいんじゃない?みたいなのがあったし、自分もちょっとそこは疑問に思った(つか、自分も過

    azumy
    azumy 2007/08/22
  • 綴り字と発音の俺ルールと、英語の中立性。 - 殿下執務室2.0 β1

    ◆pêle-mêle - 固有名詞の発音なんぞはどうでもいい このネタへのSouthendさんのコメを見つつ、ちょっとしたログとして発音話を残しておこうかなと思いつく。以下、内容は基的に浅いトリビア程度でありますが、つらつらと。 基的に、「表音文字」としてのアルファベット自身がさほど完全な仕様ではない、ってのはあります。まぁ当然ながら全ての言語の要請を満たす表音文字なんてのは発音記号以外に存在し得ないわけですが。その最たるものは母音であって、基的にこれがローマのラテン民族の用いていた5つしか存在しない。一方で、大概の欧州言語は5つ以上の母音表現を要求するので、それぞれ母音の並びで6つ目以降の母音を割り当てたり、母音にアクセントをつけたりと適当な言語ごとの実装を俺ルール化しはじめていきます。そうすると、例えば以下のようなものが出てくる。 ★Nijntje これは、オランダ生まれの非常に

    azumy
    azumy 2007/07/12
    Nijntjeはブルーナ展ではナインチェとカナ表記されてました。北欧系の綴りの読み方はほんとにわからん。感覚的でないというか。
  • 子連れ通勤者がボソッと呟いてみる。 - 殿下執務室2.0 β1

    まぁ、流石にずっと続けるのは子供がかわいそうなんで、3月までの一時的な措置ではあるんですが、そんな通勤時のひとときより。 ◆日少子化対策は無策か?@ちびたとお散歩 ですが、日に一時帰国したときに バギーなしで電車に乗ったところ 同じ車両に乗っていた子連れのお母さま方は5組。 全てのお母さんがお子さん一人は抱っこして立って乗っていました。 車内には大学生くらいの若者も、遅い通勤客らしいサラリーマンも 座って携帯メール、寝ている、漫画を読んでいる・・・。 と、今朝の電車で携帯開けてこのエントリを目にした次の瞬間に、前に座ってた人が赤ちゃんを抱っこしていた人に席を譲ってくれた件。 つーか、優先席付近で携帯ではてブなんぞ見てる俺が一番ダメな人なのだろう(苦笑)。因みに前に座ってた人の目線からは勿論私の携帯の画面は見えませんので、当に偶然ってのは面白いもんだなぁとも。という訳で、まぁこんな話

    azumy
    azumy 2007/03/03
    肯きながら読んだ。またあとでじっくり読む。
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