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ブックマーク / www.webchikuma.jp (5)

  • 〈8〉アムロをどう演出したか――到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」の2回目です。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈7〉観客を引きずり込む冒頭部」はこちら フラウとアムロ1――日常を描く 『ガンダム』第1話に戻ろう。 サイド7に潜入したジオンのモビルスーツ・ザクは、偵察を始める。パイロットの双眼鏡にひとりの少女が、隣家に入っていく様子が捉えられる。少女は、アムロのお隣さんのフラウ・ボゥで、ここから物語の軸は、主人公であるアムロ側へと切り替わる。 アムロの家を舞台にしたフラウ・ボゥとアムロのやりとりは、脚を書く段階で星山が気を配った部分だ。星山は、スト

    〈8〉アムロをどう演出したか――到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    babamin
    babamin 2024/08/24
    「キャラ同士の会話の噛み合わなさ」は、Gレコでも拘ってたね。富野由悠季の作劇の本質は「"お互いに分かり合えない"ということを描くこと(=人間同士のディスコミュニケーションの物語)」ということが解る
  • 〈7〉観客を引きずり込む冒頭部――到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 到達点であり出発点 富野は、1972年の『海のトリトン』以降の5年の間に徐々にその演出スタイルを固めてきた。そして『無敵超人ザンボット3』(1977)から『無敵鋼人ダイターン3』(1978)を経て『機動戦士ガンダム』(1979)に至る過程で、富野の演出スタイルは確固たるものとなる。『ガンダム』は、演出家としてのその時点での「到達点」と位置づけることができる。 また一方で、富野は『ザンボット3』で初めて原作としてもクレジット(脚家の鈴木良武と連名)され、

    〈7〉観客を引きずり込む冒頭部――到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 〈3〉『機動戦士ガンダム』の衝撃――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の最終回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「〈2〉「アニメーション監督」の誕生」はこちら 『宇宙戦艦ヤマト』の監督の役割 まずTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト』では、現在行われている「アニメーション監督の職能」を三人が分担して担っていたと考えるとわかりやすい。その三人とは、西﨑義展プロデューサー、監督・設定デザインの松零士、演出の石黒昇である。 どういう作品を作るべきかというビジョンを持ち、スタッフを先導したのは西﨑だったが、西﨑はアニメーションの映像そのものを直接コントロールしていたわけでは

    〈3〉『機動戦士ガンダム』の衝撃――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    babamin
    babamin 2024/06/09
    「著名な実写監督の名前がないと、映画館主に上映を引き受けてもらえない」か、なるほど。銀河鉄道999の『監修市川崑』とかもその文脈か。今はアニメも強いし、シネコン化も進んでるから、その辺の感覚は掴みづらいな
  • 〈2〉「アニメーション監督」の誕生――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の第2回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーションに「作者」はいるか? 富野がアニメーション監督の認知に大きな役割を果たしたのは、1977年から1984年いっぱいまで続いた「アニメブーム」の時期に当たる。この時期は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに、それまで子供(小学生)向けと思われていた「テレビまんが」「漫画映画」が内容的にも進化し、ティーンエイジャーの熱狂的な支持を得ていることが広く知られるようになった時期である。先述の富野のキャリアに当てはめると、1977年から1988年にか

    〈2〉「アニメーション監督」の誕生――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    babamin
    babamin 2024/05/24
    アニメにおける「監督」の定義と、その職分が確立していった歴史の話/旧ヤマト、初代マクロスの故・石黒昇監督なんかも、松本零士・河森正治と、どこまで役割分担してたんだろうね
  • 序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、論の一部を連載します。  (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーション監督として語るための2つの切り口 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評

    序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    babamin
    babamin 2024/04/19
    藤津亮太さんによる、富野由悠季論。本にもなるそうで、期待したい
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