「沖縄情報うちなーぐちフェスタ」さんでは、「旧日本軍の第32軍司令部壕」をこう説明していた。この司令部跡は首里城と弁財天の間にあるのですが、看板もなく、どのサイトでもあまり紹介されていないため、誰も訪れることが有りません。 あるいは、「沖縄発!役に立たない写真集」さんによると、首里城と弁財天堂との間の木々の中にひっそりと、首里にあった旧日本軍の第32軍司令部壕の痕跡が残っています。案内板も説明板も無く、首里城とは対照的に、観光客はだれも誰も訪れてはいません。 草場の中に埋もれようとしているこのコンクリートの残骸が、旧32軍司令部壕の入口の一つでした。現在戦闘による落盤の為、この入口からは入る事ができません。 そんな旧日本軍第32軍司令部壕に、説明の看板が設置されるという話を目にした。説明文案はこんなだったというのだが…。 第32軍の創設と司令部壕の構築 1944(昭和19)年3月、南西諸島