JFAでも貴重な経験を積んだ反町GM。「名刺が1メートル以上、積み上がるほど人脈も広がった」という。写真:元川悦子 画像を見る 2001年にアルビレックス新潟で指揮官となってから足掛け20年。清水エスパルスの反町康治GM・サッカー事業本部長は長く現場に立ち続けてきた。 その彼が日本サッカー協会(JFA)技術委員長という異なる仕事に就いたのは、2020年3月。新型コロナウイルス感染拡大が本格化し、様々な活動がストップした矢先のことだった。 「最初は何をしていいか分からなかった」と当時の反町GMは語っていたが、6月から千葉・幕張の高円宮記念JFA夢フィールドが稼働し、コロナ対策を講じながら活動。彼自身も神経を使う日々を強いられたようだ。 東京五輪の1年延期、2021年のU-17、U-20の両ワールドカップの中止など、予期せぬ出来事も次々と発生。2022年カタールW杯予選も日程が後倒しされた。