私的な文章を紡ごうとした時に、あるいは何かを表現したい時に皮肉や洒落っ気を加えない人達が圧倒的に多い。文意に隙を作れば攻撃される、という思いが慣習化した挙句張り付いており、自分がやりたかった表現の起源すら忘れてしまってる。色気のない整然としすぎた文章も逆にかっこいい。でもそれはよほど突き詰めた人の放つ凄みであって、普通の人が感覚を忘れたら何も紡げない。隙間なく卵みたいにびっしり埋め尽くさなきゃいけないものは、やがて誰かが真似をする。そのうえ卵には味がない。それこそ飾らない、面白くもない率直な言い方をすれば、洒落っ気には解釈の余地を残すべきだ。読み手は表現に関して重箱の隅をやるべきではない。もしやってしまったらその人に色気がないのだ。ツイートする
※バイラルとか2chまとめって本当にクズだなーと思う方だけどうぞ アナログ風神 photo by Raelene G 「風神雷神図」という紙本金地着色の屏風がある 描いたのは江戸時代の画家 俵屋宗達。 そして琳派の画家 尾形光琳は宗達の風神雷神と同じ屏風を描いた。 photo by sjrankin その輪郭線などは俵屋宗達のものを忠実にトレースしつつ、しかし周辺の雲や配置などを変え表情も異なる。 そして光琳と同じ琳派の画家 酒井抱一の描いた「風神雷神図屏風」 酒井のものは光琳を基にした模写と言われているがかなり酒井の独自な感覚が前面に出た作品にになっている。 どちらも実物を見たことがあるが、光琳の風神雷神の方が宗達より計算されている感じがして、酒井のものは少しコミカルささえある。 さてこの三隻の屏風は似ているどころか同じものを模写した作品。 今流行りの言葉で言うなら「パクリ」ということに
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