「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番ハンサムなのは誰?」 自分の美醜に関心があるわけじゃない(スーツ姿は除く)から、別にそういったセリフに共感ができるわけでない。ただ、靴は時を経て確実に自分を教えてくれる。良いことも反省すべきことも。時が形として残る。 Twitterを始めてよかったことの1つは、知識も経験も情熱もある人たちに触れることができること。例えば、靴。 靴(および靴磨き)が好きな人のつぶやきでは、コーディネート、方法論、購入した靴、磨いたあとの靴が現れる。Twitterを開けば1日に幾度となく目にできる光景(靴好きの靴箱を延々流すサイトなりYouTubeがあったらそれなりにページビューを叩き出すんじゃないかと想像して、時折ニヤニヤしている。少なくとも、僕は1日数分でも眺めてしまうだろう。) そういう日々が続くと、ただ感心するだけではなく、やっぱり「自分も」となるのは、男子の性なのかもしれ