「土砂の崩落で『壗(まま)』が崩れ、小川の水があふれた。家屋の全半壊も相次ぎ、しばらくは野宿を余儀なくされた。当時の家は土台が不安定で、揺れに弱かったようだ」 元南足柄市教育長で郷土史研究グループ「足柄史談会」会員の本多秀雄(90)は、元禄16(1703)年11月(旧暦)の元禄関東地震が引き起こした矢倉澤村(現南足柄市)の被害について、かつて祖父からそんな言い伝えを聞かされていた。「壗」は斜面地や段々畑を意味するという。 「関東大震災に関する記録は数多いが、元禄地震時の状況を記した史料はほとんど残っていない。山間部では土砂災害がひどかったに違いないが、その歴史を知らない住民がほとんどではないか」 ■年明け後 地元でも広くは知られていない山間部の被害を書き留めた史料は、少ないながら残ってはいる。 〈去ル年霜月大地震ニ付、当村之内北たけ山ゑみわれ〉 矢倉澤村の名主や組頭が代官に宛て