《この本は俺が自分の悩みに答えを出すために書いたものである》 著者は冒頭でこう書いている。研究とはそういうものかとまず思う。いや案外そういうのこそありなのか。それにしても、念願の自著のテーマに据えるほどの「悩み」が「暇と退屈」であるかどうかは人によるだろう。育ってきた環境によるだろう。もし私が「おまえの悩みをテーマに本を書いていいよ」と言われたらどうしよう。「怠けと焦燥の精神学」とか? そんなことを考えながらページをめくった。 それと、こと悩みの解決に人文系とりわけ哲学の勉強が本当に役に立つのか、という疑問も当然出てくる。これについては読み終えて思う。哲学によって悩みは問いへと姿を変え大いに深まるのだと。そうして思索はあちこちに広がり悩み自体はもうどうでもよくなっている。だいたいこれほど全力で調べたり読んだり考えたり書いたりすることが、悩ましいどころかすごく楽しいのでなければ、だれも哲学な
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