横浜・山下町にはかつて外国人居留地があった。 かつてといっても、居留地があったころは明治の頃とかなり昔だし、そもそも撤廃されている。しかし居留地撤廃から100年以上経った現在でも、横浜の街では居留地があった面影を探すことができる。 外国人居留地とは、政府が外国人の居留及び交易区域として特に定めた一定地域をいう(wikiより)。幕末に結ばれた1858年の日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められ、条約締結国民はそこでは居住や営業が許されていた。 現在の山下町あたりに存在した横浜居留地では、明治8(1875)年、居留地の通りに沿って日本全国の地名を冠した30カ町が認可されて実施された。その町の名前は「函館町」、「長崎町」、「薩摩町」など全国にある地名ばかり。ちなみに全国の都市の名前が付けられたのには深い理由はないらしい。とはいえ、横浜の山下町に日本全国
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