TOPへ 戦記目次 軍艦『酒匂』始末記 阿部 達 昭和20年10月、私は第15突撃隊 (駿河湾) の残務整理から解放されて復員、東京の兄の所に落ち着き、さて何をしょうかなどとボヤッとしていた処、11月5日付『酒匂分隊長に補す』 との電報を受取り、『アレ俺は未だ海軍の籍があるのか』とビックリ仰天し、(充員召集と知ったのは後のこと)舞鶴へと向った。卒業以来、初めての舞鶴に来てみると、工廠岸壁に武装解除で間が抜け、薄汚れて吃水の浮き上った酒匂が係留され、特別輸送艦への工事の最中であったが、あの懐かしいスマートで精悍(せいかん)な軽巡の面影は見られなかった。 酒旬との出会い 私は19年8月、損傷艦『北上』で南方から佐世保に入港するや、佐世保海軍工廠で建造中の第225号艦艤装員に発令された。その頃は、(機)49期の田村賢雄大尉が最先任者で、田村部隊と称していたが、やがて機関長予定の橋口少佐(