永久保貴一さんの実録マンガ、これが最終回です。永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』(朝日ソノラマ、1996年)は、「四谷怪談」と「皿屋敷」について検証しています。このうち、今回は「皿屋敷」の検証を紹介します。 永久保さんは、これ以外にも、前回紹介した『永久保怪談 恐怖耳袋』の2巻で、「累ヶ淵」の検証をしています。「四谷怪談」と「累ヶ淵」については、つぎの記事を見てください。 ●「累ヶ淵」 →「累ヶ淵」補論~羽生村事件の概要~ ●「四谷怪談」 →「四谷雑談」~「四谷怪談」の実録小説 →「東海道四谷怪談」の概要(はじめに) →「東海道四谷怪談」の概要(前半) →「東海道四谷怪談」の概要(後半) →於岩稲荷に関する考察 「皿屋敷」の怪談にはさまざまなヴァージョンがあるのですが、永久保さんはまず馬場文耕の「皿屋敷弁疑録」(1756年)を紹介しています。 盗賊・向坂甚内(さきさかじんない)の娘・菊は
小幡氏は『系図総覧』所収の武蔵七党系図によると、児玉党の分かれである。藤原氏の流れをくむ有道遠峯の子経行は秩父武綱の娘を妻にし、経行の子行重・行高は母方の重綱の養子となって秩父を称した。そして、行高の子行頼が小幡氏を称している。ただ、行重の系統の輔行も小幡氏を称しており、平安末期は各系が独立していず同族的結合が強かったと考えられる。すなわち、児玉党有道氏系の武士と秩父氏の婚姻関係によって生まれた子らが西毛に入部し、小幡氏をはじめとして倉賀野・片山・奥平・大類などの諸氏が分出した。 小幡氏は鎌倉御家人ではなかったようで、小幡氏の活動がみられるようになるのは南北朝期以降である。小幡右衛門尉氏泰は建武三年(1336)に同族の小代氏とともに高師直に属しており、南北朝内乱期の早い時期から足利氏に従ったようだ。また氏泰は康永四年(1345)の天龍寺供養に足利尊氏の随兵を務めるなど、室町幕府内での活動が
永久保氏の熱意的探求 永久保貴一氏は近年いくつかの有名な怪談話の真相に迫るべく、意欲的な探求をしています。特にこの皿屋敷の探求に関してはひじょうに深いところまで到達したようです。永久保さんの詳しい研究結果については下記の文献を参照して下さい。 「恐怖耳袋(2)」朝日ソノラマコミックス 410円 「四谷怪談・皿屋敷」朝日ソノラマ (A5版) 880円 いづれもコミックス扱いですので、通常の通信販売では入手できません。書店で見つからない場合は、直接注文するなどの方法で入手してください。耳袋(2)に累ヶ淵の話が載っています。 耳袋(1)の方は実際に永久保氏がかなりひどい目にあったある物語と、犬神様のことが書いてあります。(1)はむちゃくちゃ怖いですし、その永久保氏もひどい目にあった物語というのは関わる人がことごとく祟りにあってますので、私はとてもお勧めできません。 また、この皿屋敷の件に関連する
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