2013年1月11日のブックマーク (2件)

  • なんかつかれた

    すごい疲れたので適当に書いた.どこかで吐き出したくなったので書いた.矛盾してるかもしれないけど書いた. 僕は無趣味である.正確に言えば人に言える趣味がない.趣味はなんですかと問われれば人によって答えを変える. 色々どうでもいいと感じる.人がはしゃいでいるところを見ても何も思わない.普遍的にいろんな人がやっていることがどうでもいい.なぜそれに対してそこまで力を入れられるのか. じゃあ君は何に興味があるのかと.全くそういうものがないわけではない.プログラミングを筆頭に情報分野に対する興味は強く持っている.そうでなければ既に大学なんぞやめている. 人と話すのは好きだし,部屋にこもらず外に出て色々回るのも大好きだ.ただ目的なくぶらぶらするのは嫌いだが. そうして大学の人たちと色々話す.情報分野に関する話をしているときは楽しいし,そうじゃなくても面白そうだなと思った話をしたり,あの教授は面白いとかそ

    bayassie
    bayassie 2013/01/11
    よくわかる。自分も似た気持ちだった/人に理解されるのを放棄して、人とは通じ合える話だけで通じ合えばいい(自分の好きなことは自分が好きであればそれでいい)と割りきって考えると心は少し楽になる、と思う
  • 「通説・権威を否定するメソッド」について。: 不倒城

    10年くらい前、出版社にバイトで出入りしていた頃、「ハウツーを売るコツ」みたいなことを聞きかじったことがあった。 その内の一つに、「一般的に信じられている通説、あるいは権威の言葉をまず否定する」というものがあったことを、奥様が図書館から借りてきた育児のハウツーを、横から覗きこんでいて思い出した。 通説の質についてとか、そのハウツーの内容が適しているのかどうか、という話は取り敢えずおいておく。ハウツー自体は、有益なノウハウと無益なノウハウがごった煮になっていることが分かりきっているのだから、有益だと思った分だけ齧ればいい。それだけのことである。 説得力のお話なのだ。 「通説を否定するメソッド」が有効な理由はたった一つ。「「気付き」という感覚がとってもキモチイイから」。 通説は、広く流布されているからこそ通説と呼ばれる。「大体こうすればいいんだよ」というセオリー、ある程度固定化された「

    bayassie
    bayassie 2013/01/11