2017年6月20日のブックマーク (2件)

  • 俺の生きる意味って何?

    昔は「生きる意味に悩むのは俺がまだ精神的子どもだからだ」「人生経験を積めば自ずと答えが出る、見つかるはずだから答えを探すのが生きる意味だ」 みたいに考えて生きてきたわけよ ところが逆でした 色々知識が増えるにしたがって 俺が生きる意味なくね?という考えが強くなっていきだけでした ンフw 笑うしかないわ だから結婚しろってみんな言うのね? そうでしょ? 家族、子どもっていう分かりやすいものが出来れば全ての行動が肯定されてくる 俺みたいな凡人にとって生きる理由=子ども、というのは最適解 でも、モテないんだよな俺 いや正確には付き合えるけど全く長続きしない 人に興味がない 興味持とうと頑張ったよ?俺 心にもないけどすごいとか尊敬するとか可愛いとか一緒に遊ぼうとか 作り笑顔もがんばったよ? 学生のころムードメイカーを自称しちゃうほど周りの空気読んで笑わせたり 誰かを楽しませるのに頑張るやつだった

    俺の生きる意味って何?
    bearcub
    bearcub 2017/06/20
  • 国語の授業で「山月記」をどう取り上げるべきか - グローバル引きこもり的ブログ

    先ほど「山月記」関連に関するエントリーを2つ書いたが、山月記というのは国語の授業でどのように取り上げられているのか気になったので調べてみた。 ものを書くことを好む人が多いのか、どうも国語教師というのはネットをやる人が多いようで、検索をすると「山月記」の授業に関しても膨大な量のエントリーが見つかる。 それを見ていて改めて思うのは、「山月記」を授業で取り上げるというのは結構難しいなあ、ということだ。 まず、「山月記」が李徴のような人間を煽りまくる目的で書かれたという側面があるのは間違いないだろう。 文学の世界では、今も昔も李徴のような人間には事欠かないわけで、中島敦に李徴のような生き方を批判する意図があったのは間違いない。 中島敦には書くことがなくなったのに作家という肩書にしがみつく職業作家を批判した一文があるが、職業作家に対する認識がこれなのだから、李徴のような生き方をしている者に対する認識

    bearcub
    bearcub 2017/06/20