古くから「内在批評(印象批評)」VS「外在批評」のような構図で議論が重ねられており今更ではあるが、ある作品があった時、受け手はどのように作品を鑑賞し、どのように感想を持てばいいのか。「好きなように感じればいい」は大前提であって、どのようにして好きなように感じればいいのか、である。言葉上では倒錯的だが、これは重要な問題だ。 送り手の意図を読み取るのが一番だ、という人も多いが、ワタシはそういった作者至上主義を信じない。作者だけが作品のすべてを判っているとは思えない。個人的にはそれは、作者がクイズを出して鑑賞者がそれを解いてるような下らない関係だなと思ってしまう。が、これはかなり根強い。 ワタシは第一印象を出発点にして理論付けていく在り方が一番美しいと思う。作者が思ってもみなかった感想で、結果的に「そんなつもりはなかったけど、なるほど」と作者にさえ一理あると思わせてしまうような、そんな感想だ。
better この記事は暫定的に復活させたものでこれ以外の記事にアクセスはできません(復活させた理由はやたらアクセスがありエラーログが残りまくるためです)。 例えばなぜ雑誌が売れないのかを考えると、考えられるのはインターネットの影響である。雑誌の速報性はネットの速報性に敵わないというのは最もだし、雑誌で知れるような情報は今時ネットで無料で入手できるというのも全くだ。 例えばなぜCDが売れないのかを考えると、かつてはCDに使っていたお金がケータイの基本料金に消えているという説はそんな気がするし、P2Pで無料でダウンロードできるからというのも心当たりがあるし、でも別にケータイの着メロは売れてるからモノに拘らなくなっただけかもしれないよとも言える。 しかしそれらの根底にある理由を考えなくてはいけない。それは何かといえば、「流行を追う」行為がもう流行っていないという点に尽きる。「流行が流行ってない
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く