※この記事は「天気の子」のネタバレを含みます。 セカイ系という言葉が嫌いだ 「セカイ系」という言葉が嫌いだ。 勘違いをして欲しくないのは、ぼくが嫌いなのは現在の作品を批評する際に用いられるセカイ系という言葉自体であって、その言葉でもって一般に想像されている一連の作品群のことではないということだ。 「セカイ系」と称される作品、具体例をあげるなら、マンガ、アニメの「最終兵器彼女」、ライトノベルの「イリヤの空、UFOの夏」、美少女ゲームの「Kanon」などの作品は、いずれもぼくが愛好してやまない名作ばかりである。 だが、それでもぼくがこの「セカイ系」という言葉にある種の忌避感を抱かざるを得なくなったのは、「少女と少年の恋愛がセカイの運命に直結し、社会や家族などの中間層は描かれない」あるいは「(一人語りで語られる)自意識の範疇だけが世界であると認識して行動する作品」というその言葉の定義が、実際に「