例によって特に意味はないです。 ちょっと、しんどいことが立て続けに起こって、ちょっと電池が切れて、なにもかもままならなくなっているので、あと、もう、本当に疲れていて、
![いつもの、もう、色々限界が来た時の、どうしようもない出力です - orangestarの雑記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/25bef30a8d8df6edfcf5fa6ebe6e25ad6c62537e/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fo%2Forangestar%2F20150410%2F20150410193035.png)
例によって特に意味はないです。 ちょっと、しんどいことが立て続けに起こって、ちょっと電池が切れて、なにもかもままならなくなっているので、あと、もう、本当に疲れていて、
少々思うところがあって、2月に入ってから『笑ゥせぇるすまん』をまとめて読んでいたのですが、実はわたくし、幼稚園時代に夢のなかで喪黒福造に追いかけ回されたことがあり、以来こちらの漫画は若干トラウマになっています。あの夢怖かったなあ。 笑ゥせぇるすまん(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション) 作者: 藤子不二雄(A)出版社/メーカー: 小学館発売日: 2014/01/27メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 『笑ゥせぇるすまん』はご存知のとおり、藤子不二雄Aのブラックユーモアあふれる漫画です。ストーリーは周知のとおり、「せぇるすまん」である喪黒福造が、現代社会で様々な欲望をもって生きる人々に接近し、その欲望を叶えていきます。そういった意味では「大人のドラえもん」ともいえる喪黒福造なのですが、その欲望を叶えてもらった人々の末路はというと、夢を叶えたことによって社会の規範を
DeNA入来祐作1軍用具担当(42)が8日、奄美大島キャンプでのウナギ釣りを休養した。 仕掛けは前日の練習終了後に行うが、7日は川に入らず宿舎に戻った。「31日から毎日やってて疲れてるんですよ」と一休み。ウナギ釣りのエサとなるテナガエビも自ら川に入り、捕獲している。用具担当の仕事も通常通りこなしてからの作業となるため、疲労がたまっていた。 疲労とウナギも3日連続で捕獲できていないことも重なり「ウナギ漁に心が折れてるんです」とネーチャー入来もつい弱音をはいた。 それでも8日の昼から9日の朝にかけて天気予報が雨と聞くと「雨の方が釣れるから。ここにかけます」と気合を入れ直した。
現代の若者は絶望しているのだろうか。どうなんだろう。というのは、昨日のエントリーへのツイッターのコメントでこういうのを見かけた。晒しとか、反論というかいう意味ではない。基本的には「ふーん、どうなんだろうか」と思っただけ。なのでコメント部分だけ引用。 ないのはお金だけじゃないよ。将来に対して絶望感以外なんにもない国で、落ちていくしかないんやから、恋愛みたいな長期的なことより、刹那的なものに流れるにきまってるやん。 現代の若者が恋愛できないのは、お金がないこと論に加えて、この「国」の将来に対して絶望感以外ない、という意見があるらしい。 若い人が絶望を抱くことについては、20歳までに自殺すると思っていた私としては、特に違和感はない。違和感があるとすれば、私がそうであったように、小学生だった1960年代から、青少年期だった1970年代、若い人の絶望というのは凡庸なことだった。 特に60年代から70
「無能な働き者」と「有能な怠け者」の違いを教えてください。 自分は「有能な怠け者」かな?と思ってました。 「ブログラマは自分が怠けるためにはどんな努力も惜しまない」「エスカレータを発明した人は天才(階段を自動で上る手間を考えるくらいなら上った方が手間が少ないから)」と思っています。 ・ルーチンワークは嫌い。「1+1が2であること」の確認なんて大嫌い。眠ってしまう。 ・「1+1が3になるんだが原因を調査してくれないか?」とか、○○を作ってくれないか?だとめっちゃテンション上がる。毎回変わる顧客とか仕事だと120%くらい頑張る。 我が家は代々ADHD(おやじも今考えるとそうだった)の気がして、能力はあるけど(空気読めないから)無能なのかも知れないと思いました。 上長の査定は人が変わっても毎回「能力があるのは認めるが、仕事に役立てていない・リーダーシップを発揮していない」です。 私は「無能な働き
男子野球部員の食べるおにぎりを手作りするために、難関大学向け選抜クラスから普通クラスへ移動し、合計で二万個を制作したという春日部共栄高校の女子の話を、今さっきはじめて読んだのだが、咄嗟に頭に浮かんだ率直な感想は「この女子マネージャー死ねよ!(激怒)」だった。次が「気持ち悪い!」。
煽りでもなんでもなく純粋に。 ニコニコ、youtube、pixiv。 プロならまだしも、一介のアマチュアがプロ顔負けのクオリティのものを無料でアップロードしているという状況に対して、無邪気に称賛している人間は何も感じないのだろうか。 俺はすごく自分がみじめになる。 なんの才能もない自分が嫌になる。 底の抜けたコップみたいにジャバジャバ目の前の娯楽を消費するだけの人間になりたい。 自分が何もできないことを開き直れるくらい鈍感で図太い人間になりたい。 そういった自分になんの抵抗も感じない人間になりたい。
Something went wrong, but don’t fret — let’s give it another shot.
『風立ちぬ』を見て驚いたことhttp://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/fc082b472586d1994a96b6b975fdceceこの批評記事がはてブで人気になっている。中身は映画公開初日に岡田斗司夫がニコ生で行った風立ちぬ批評のパクりだ。どの部分が、なんてレベルではなく最初から最後まで完全に引き写している。自分の意見を1ミリも混ぜていない。見事なまでに徹底的に完璧に岡田斗司夫レビューのコピーだ。お前は一体何の為にこんな事を?まあ、多くの人の承認が欲しいのだろうと察する事は出来るが。しかし、この記事がどれだけ人気になろうとその賞賛はお前に対してではない。こんな鋭い考察を書いた!としてお前への評価が上がろうと、それを今後も維持する為にはこういった盗作批評を続けるしかない。次もその次も、全てが明るみになって破綻するまで続けるしかないのだ。ホムンクルス
自分のダサさに耐えられなくなってきた。 以前は自分なりにおしゃれしているつもりで、自分なりに好きなテイストの洋服を選んで、自分なりに(ささやかだけど)お金をかけていた。 もちろん、もともとおしゃれが趣味とかいうわけではないから、そんなに情熱を注いでいたわけじゃない。それでも、清潔感はなくさないようにしよう、TPOに合わせた格好はしよう、浮かないくらいはがんばろう、と思えてた。 だけど、ちょっと前のあることをきっかけに、気づいてしまった。自分がダサいということに。 まあ、目をそらし続けてきた現実を直視させられてしまっただけだと思うんだけど。あ…私、ダサいんだ。「浮かないくらいはがんばろう」って、頑張れてなかったんだ。って思った。 プライドの高い自分は、その一言にひどく動揺した。 これまで保ってきた「私は普通かそれ以上」という自意識が音を立てて崩れていった。 友人が悪意を持ってそんなこと言った
会社の社員寮にて。 後輩たちが忘年会に行くのを見た。 うらやましい。 自分の代は既に同期の中で仲良しグループが出来上がっていて、そうしたグループ内だけで忘年会をやることになっている。 自分はどのグループにも所属しておらず、誘われない。 先輩の部屋の前にスキー板が立てかけてあった。 スキーから帰ってきたようだ。 休日にアウトドアか。 うらやましい。 自分はインドア派だから。 なんでうらやましいと思うのかが自分でも分からない。 忘年会に行きたければ同期を誘えばいいし、スキーに行きたかったら、スキー板とか一連の道具を買うなりレンタルなりして、スキーに行けばいい。金ならボーナスも出て500万以上の貯金がある。 できるのに、やろうとせず、そしてなぜうらやましがるのか? 自分でも不思議だ。 いや、違う。 自分は忘年会とかスキーをすることがうらやましいんじゃない。 「忘年会を楽しめる」「スキーを楽しめる
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